『ハート・ロッカー』70点(100点満点中)
The Hurt Locker
2010年3月6日、 TOHOシネマズみゆき座、TOHOシネマズ六本木ヒルズほか全国ロードショー 2008年/アメリカ映画/上映時間:131分/アメリカンビスタ/配給:ブロードメディア・スタジオ
監督:キャスリン・ビグロー 脚本:マーク・ボール 出演:ジェレミー・レナー アンソニー・マッキー ブライアン・ジェラティ
アカデミー賞受賞も当然の、いまアメリカに一番必要な映画
アカデミー賞はアメリカ映画界の業界人の政治的思惑で決まるものであり、作品の出来は二の次ですよと私は常日頃から言っているが、それを陰謀論だのユダヤのなんとかだのと批判する人がいる。
だが誰かの陰謀と政治的決定とは似てまったく異なるもので、そもそも多数の会員の投票で決めるアカデミー賞に、陰謀だの八百長の余地はない。ただ会員の構成を見れば、そこに「暗黙の了解」「みんな空気読めよ」的なものがあるのは当然の事だよと言っている。
そんなわけで、別に私は誰かの陰謀で『アバター』が受賞する可能性はゼロだと(受賞式前日のTBSラジオで)断言したわけではなく、ビジネス的視点から論理的に予測しただけだ。その根拠は2010年3月11日、東池袋で行ったトークライブで詳しく話したが、簡単に言えば『アバター』が作品賞など重要な賞を受賞してしまうと、アカデミー賞にとっての大事なスポンサーが大ダメージを受けるという事だ。
ハリウッドは世界中から芸術家が集まると同時に、プロのビジネスマンが集う地。その頂点たるアカデミー会員たちが、自分の足を食うようなバカげた決定をするはずはないのである。
2004年、イラクの首都バグダッド。いまだ治安の回復しないこの地で、米陸軍ブラボー中隊の爆発物処理班は、日々過酷な任務をこなしていた。そこに前任者の殉職により赴任してきた新リーダー、ジェームズ二等軍曹(ジェレミー・レナー)は、死をまるで恐れぬ態度で周囲を戸惑わせる。彼はあたかも死を望むかのように、ほとんどギャンブルのような危険な処理を率先して行うのだった。
いわゆる戦争中毒の男の、救いようのないほどに壊れた精神を、異常者でなく共感できる「人間」として描いた戦争ドラマである。
冒頭に書いたとおり、アカデミー賞は業界に利益をもたらす作品が「"業界内の"空気を読んだ」会員たちの投票で決まるシステムだが、同時に会員たちは「その時々の世論の空気」も読んで投票する。オバマ大統領が誕生した昨年などは、「チェンジ」の希望に燃える米国民のため、前向きな「スラムドッグ$ミリオネア」が選ばれたが、これこそ典型例である。
とすると、『ハート・ロッカー』が選ばれた背景には、もう米軍批判やボクたち反省しよう的な映画はイラネ、と米国民が感じているという世間の風潮がある。なにしろ『ハート・ロッカー』は、反戦映画ではあるものの断じて反米映画ではないのだから。
ここに出てくる米兵たちは、略奪もしなければ非人道的な所業を平気で行う悪魔でもない。死の恐怖におびえ、砂漠で孤独を感じ、ときには仲間同士でケンカもするお茶目なやんちゃ坊主たち。ダメな部分もあるがそれも含めて愛すべき人間なのである。この映画のもっとも際立つ特徴は、米軍を人間的に描いたというこの一点にある。
主人公がまだ言葉も理解できないほど幼いわが子に、寝床で語りかけるシーンがある。ここでこの男が、決定的に狂っている事が観客に知らされるが、しかしここで主人公を異常者と認識する人はいないはずだ。決して彼に対する共感が消えぬよう慎重に組み立てられた、この重要な演出の理由を考えるべきであろう。
この監督は、シリアルが一列ずらりと並んだスーパーマーケットのきわめて衝撃的なショットで、"観客の心がこの主人公の気持ちに同調するよう" 意図的に誘導しているのだが、ここで自分が操られていると気づいたお客さんはどれだけいただろうか。
私はこのショットを見て、キャスリン・ビグロー監督がオスカーにふさわしい見事な力量の持ち主である事を再確認した。ここまで巧妙にやれば、本作がプロパガンダであると気づく人は少ないだろう。
このほかにも、ベッカム少年とのエピソード、子供をほしがる同僚のシーンなど、重要なエピソードがいくつかあるが、それは皆さん劇場でご確認いただきたい。
そしてその際にはこの記事で指摘した、監督の意図的な感情誘導のテクニックについても、しっかりと見てきてほしいと思う。なぜ彼女はそんな事をするのか、なぜこの作品がアカデミー会員の心をつかんだのか、見終わった後に考えてみると、より深く楽しめるはずだ。