『キャピタリズム マネーは踊る』55点(100点満点中)
Capitalism: A Love Story 2010年1月 全国拡大ロードショー 2009年/アメリカ/カラー/ヴィスタ1:1.85/ドルビーデジタル/120分/配給:ショウゲート
監督・脚本・出演:マイケル・ムーア 製作:アン・ムーア 編集:ジョン・ウォルター、コナー・オニール 共同編集:ジェシカ・ブルネット、アレックス・メリアー、タニア・メリアー、パブロ・プロエンザ、T・ウッディ・リッチマン
霞のような敵と戦っているようなもの
マイケル・ムーア監督が「反資本主義!」を叫ぶ最新作『キャピタリズム マネーは踊る』の制作中、偶然にも例の金融危機が起きた。ムーアはそのとき内心しめた、と思ったという。自ら選んだ題材のタイムリーさを確信したというわけだ。
だが、残念ながら彼の認識は間違っていた。
タイムリーどころの騒ぎではないのだ。そのとき起きた出来事の真の意味は、「現実が映画を追い越した」すなわち「このネタはとっくに過去のものとなりつつある」ということであった。だから彼は喜ぶどころか、焦るべきだった。完成・公開がもっと早かったならば、この映画における彼の主張がこれほど陳腐にみえることなどなかっただろう。つくづく残念である。
現実にはすでにオバマ大統領が登場し、「アメリカは社会主義国になった」と揶揄されるほど「反資本主義的」経済政策を打ち出している。本作でムーアが反対する「シホンシュギ的なもの」は、すでにオバマがバッサバッサと斬り捨てているわけだ。
制作期間の長い「映画」というジャンルは、もとより時事ネタには向かない。皮肉にもそのジンクスを、世界一の売れっ子ドキュメンタリー作家が身をもって証明した形である。
ただしそれ以前に『キャピタリズム マネーは踊る』が精彩を欠く理由がいくつかある。そのひとつは、ムーアの攻撃対象があいまいなこと。
反資本主義を大テーマとして唱えるのはいい。だがそもそも資本主義とは何なのか。ムーアは誰を、何を攻撃しようとしているのか。ウォール街で莫大な投機マネーを動かす連中が資本主義の中核か? そんなことはないだろう。労働者を含めた多くの人々は、資本主義経済の中で真面目に働き、それなりに富をつかんだ。そうでなくともその他の経済体制よりは、いくらかマシな暮らしを手に入れたはずではなかったのか。
無論、ムーアもそうした資本主義の効能・側面までは否定しない。彼の父親は自動車メーカー・ゼネラルモータースの組立工だったというが、家や車を手に入れ、中流階級として息子のマイケルや妻たち家族を十分に養ってこられた。映画の中で本人がそれを好意的に紹介している。「古きよき時代」だったと懐かしむかのように。
ところが一方でムーアは、フランクリン・ルーズベルト大統領が最後の演説(1944年)で提唱した「新しい権利章典」が法制化されず、絵に描いたもちで終わった事を悔やむ。その後、国はおかしな方向に向かってしまった、つまりウォール街による支配が始まったのだ、と。
言うまでもなく、どちらも同じ時代のことを指している。「古きよき時代」と懐かしんだり「悪しき時代の始まり」と断じたり。ムーアの脳内では違う視点で論じているのだろうが、見る側としてはどうもブレているような印象がある。
ちなみに歴史を見れば、ルーズベルトの死後、すなわち戦後直後こそがアメリカ帝国の経済全盛期であろう。日本・欧州の生産設備が戦争で壊滅し、無傷だった米国が「世界の工場」として一人勝ち&ぼろ儲けした時代。だからこそ、GMのいち工員に過ぎなかったムーアの父も、いい給料をもらえたのではないのか。
ウォール街の支配力うんぬんなど関係ない。戦後のアメリカ人は、原爆とじゅうたん爆撃のおかげでいい暮らしができたのだ。
その証拠に、日本の工場が復活してくると米国の製造業は没落。物を作っても到底かなわないということで、ITだの金融立国に国策をシフトしたのではないか。ルーズベルトの権利章典がたとえ実現していたとしても、この流れは変わるまい。結局のところ、彼らは金融に力を注ぐよりなかったはずだ。
ところで彼が語る「資本主義イラネ」のあとにくる対案・アイデア、これがまったくないのも問題だ。ムーアも「一緒に考えよう」としか言えない。ここが本作の一番煮え切らない、見ていてフラストレーションがたまるポイントである。
批判対象が漠然としすぎている点、対案がない点。この2点は、ムーアが「経済体制」などと大風呂敷なテーマを広げている限り永遠に解消されない。国民皆保険制度導入を目指した前作『シッコ』は、逆にその2つが明確だったからこそ人々に感動を与え、傑作になったのである。
はっきり言おう、マイケル・ムーアは、もっと地に足の着いた現実的かつ小規模な社会問題にテーマを絞るべきだ。
彼は、結論を出さないことがウリの「朝まで生テレビ」をやるべきではない。彼は労働者の代表であり、いまでは世の中を変えられる大きな発言力を手にしている。それを無駄にしてはならない。
一つ一つ、中ぐらいの問題をぶった切り、解決し、労働者の暮らしを良くしていく。「労働者の味方」だというならば、ムーア本人だってそれが一番嬉しいだろうし、観客も大きな快感を得られる。世の中が変わる実感を得られる事ほど、彼らを勇気付けるものはない。それを提供できる、世界でも数少ないエンターティナーであり活動家である自覚を持ってほしい。
ちなみに私が当サイト以外の、様々な媒体で本作を扱った際に紹介してきた本作の良いところは、相変わらずの痛快な突撃取材の模様や、想像を絶するアメリカの暗部を当事者の証言で見られること等々である。ムーア作品のいつもどおりの魅力は、それなりに堪能できるとお伝えしておきたい。