『カティンの森』70点(100点満点中)
2009年12月5日(土)より岩波ホールにてロードショー 2007年/ポーランド映画/122分/R-15/ドルビーSRD/シネスコ/ポーランド語・ドイツ語・ロシア語/配給:アルバトロス・フィルム
監督:アンジェイ・ワイダ 原作:アンジェイ・ムラルチク 脚本:アンジェイ・ワイダ、ヴワディスワフ・パシコフスキ、プシェムィスワフ・ノヴァコフスキ 撮影:パヴェウ・エデルマン 音楽:クシシュトフ・ペンデレツキ 出演:マヤ・オスタシェフスカ アルトゥル・ジミイェフスキ ヴィクトリャ・ゴンシェフスカ マヤ・コモロフスカ
猛烈な感情を感じる、静かだが激しい映画
ある程度の数をみると、映画にはざっと二種類あることがわかる。商業的成功を主目的にしたものと、儲けを二の次にしても(映画作家たちが)作りたくて作る作品である。むろん、映画づくりはバカみたいに金がかかるから、他人の金を集めて作る限り、完全な意味での好き勝手が出来るはずはないが、それでも後者の方が、(たとえ予算規模は少なくとも)より情念のこもった作品になるのは当然である。
そんな中でも「カティンの森」は、特別に監督の情念に溢れた作品。なぜならこの戦争映画は第二次大戦下のポーランドで起きた虐殺事件(カチン事件)を描いたもので、アンジェイ・ワイダ監督の父親は、その虐殺の被害者の一人だからだ。
1939年のポーランド。この時代この国は、ナチスドイツとソ連により、分割占領されている。ドイツ軍から逃げるように東進するアンナ(マヤ・オスタシェフスカ)とその娘ニカは、夫のアンジェイ大尉(アルトゥル・ジミイェフスキ)と野戦病院で再会する。共に逃げようという妻子に、アンジェイは仲間を見捨てられぬと語り、ソ連軍によって東へ移送されてゆく。
橋の両端から逃げてきた人々がすれ違う印象的なオープニング。アンナ母子はナチスから、そして反対側の人々はソ連軍から逃げてきた人たちだ。進むも地獄、戻るも地獄。逃げ場のないどん詰まり。
仮にも列強と肩を並べる軍事大国であった日本人としてはぴんと来ないが、これこそが大国に囲まれ、分裂を繰り返してきた小国の国民の象徴的な姿である。この直後、愛する夫と離れる事になるヒロインと子は、さらなる地獄を見ることになる。彼ら二人のキャラクターは、帰らぬ夫、父親を待ち続けた監督自身と母親の投影であろう。
カチン事件とは、ソ連軍がポーランド将校を文字通り虐殺した事件であり、戦後ポーランドがソ連の支配下に置かれたため長らくタブーとされてきた。ソ連が正式に事件を認めたのはなんと1990年になってからだ。
ワイダ監督がその長い間、どれほどの執念をもってこの問題を追い続けてきたか、想像に難くはない。本作の脚本は90年代半ばから執筆され、正式バージョンは30回もの修正を重ねたものだという。ちなみにアンナ役のマヤ・オスタシェフスカも、曽祖父が虐殺の被害者である。そんなわけでこの映画には、並大抵ではない怒りと悲しみが込められている。
当時のポーランドの情勢、事件のおおまかな概要を知らないとストーリーをつかみにくいので、事前にある程度の予習が必要。だが、圧力さえ感じさせる重い重い映像と、不安を掻き立てる音楽の凄みは誰にでもわかる。そしてそれこそが、83歳のベテラン監督の猛烈な感情そのものである。本来なら、それを味わうだけでも十分なのかも知れない。
アンナとは別の被害者である大将の夫人が、ドイツ総督府からソ連軍の非道を聞かされ、自軍のプロパガンダに協力するよう求められる場面がある。
殺した連中(ソ連)もその敵(ナチス)も、頼るに値しないクズである。このときこの女性が感じた絶望を、総督府の建物から出たときにこの監督は効果的なカメラワークで一瞬で見せる。こんなに感情的な映画の中でも、冷静さを忘れぬ老練なテクニック。さすがの名演出である。
やがてアンナと娘のほうは、愛する人の上着を見つける。果たしてその中に何があるか。これまた象徴的かつ、作り手の激しい感情を感じさせる名場面。徹頭徹尾こんな感じだから、鑑賞者は監督のすさまじい「心」を受け止める覚悟が必要だ。淡々と見えるすべてのシーンの背後に、そうしたものを感じ取れる感受性もまたしかり。