『彼女の名はサビーヌ』55点(100点満点中)
2009年2月14日より、渋谷アップリンクにて、ほか全国順次公開 2007年/フランス/カラー/85分/配給:アップリンク
監督・脚本・撮影:サンドリーヌ・ボネール 共同脚本・撮影:カトリーヌ・キャブロル 出演:サビーヌ・ボネール
自閉症の妹を25年間も撮り続けた監督
自閉症は、日本だけでも数十万〜百万単位の患者がいるといわれており、決して珍しい障害ではない。だが、たとえ家族に自閉症患者がいたとしても、その成長をビデオカメラで記録し、映画にして発表してしまう人はまずいまい。ところがフランスで演技派として知られる人気女優、サンドリーヌ・ボネールはそれをやった。
カンヌ映画祭で国際批評家連盟賞を受賞した話題作『彼女の名はサビーヌ』は、彼女が自閉症の妹サビーヌの日常と成長を25年間にわたって記録したドキュメンタリー。
映画のチラシに写っている若いころのサビーヌと、現在の彼女の外見の差に、まず観客は強い衝撃を受ける。いったいなぜこんな事になってしまったのか、その疑問にサンドリーヌ・ボネール監督はゆっくりと答えていく。
インタビュー取材などはほとんどなく、ただただサビーヌに密着する。昔のサビーヌと今のサビーヌ。それをひたすら交互に見せていく。
最大の驚きは、現在のサビーヌが昔の自分を映像で見るところか。このときの彼女の反応は予想外であり、強く心を揺さぶられる。
ただしこの映画、こちらの疑問の多さに比し、監督が提示する事実があまりに少ないため、かなり食い足りない印象をうける。
だいたい5年間もヤブ医者に預けている間、監督を含めた家族は何をしていたのか。現在サビーヌが飲んでいる大量の薬物は何で、何のためなのか。そうした治療、療養生活にはいったいいくら程かかるものなのか。
劇中登場する、別の自閉症児を持つ若い母親に、「罪悪感」について語らせる場面があるが、正直なところ私は、その言葉は監督自らの口から出るものと思っていた。ずさんな医療の告発や、十分なケア体制が不足する現状のアピール。それと同時に、贖罪の意味もこめての映画化、そして発表だと思い込んでいたからだ。
それにしてもサビーヌのような不運なケースを見ると、つくづく安易に医者に頼る発想はよくないな、との思いを強くする。
私は病院とは、医師の専門知識を、自らの判断材料のひとつにするため、お金を払ってお借りしにいくところと考えている。病気を治してもらいにいくところ、などとは間違っても考えない。それをするのはあくまで自分自身の肉体、精神力である。
医師たちは病の専門家ではあるが、私の専門家ではない。自分のことは自分のみが知っているのだから、判断は必ず自分で行う。だから医師たちのアドバイスに一喜一憂する必要などないし、私はしない。
彼らは経験と専門知識から、最善とされる道を示してくれるが、それはつまるところ、過去の無数の症例と実験によって得られた統計データ、ぶっちゃけて言えば単なる他人の症例の寄せ集めに過ぎない。 参考にはなるが、そんなデータにいちいち振り回される必要はないだろう。
たとえ死亡率90パーセントの難病と言われたとしても、ビビる必要などはない。自分が生き延びられるかどうかは、自分が一番よく知っているはずだ。
かつて私はある症状について、絶対に治らないと医師に言われたことがあるが、そのときもまるでショックなど受けなかった。それどころか、自分の年齢、防衛体力、治療に関する専門知識と実践状況等から判断して、必ず治る自信があった。繰り返しになるが、医師は"私"の専門家ではないから、私が過去どれだけ激しく体を鍛え、健康に気を使っていたかについては何も知らない。たくさんの"私以外"のデータから、治癒は無理と判断しただけの話である。
結果、現代医療では無理といわれた症状は数ヵ月後に完全に消失し、私は完治した。もし病気で苦しむ人がこれを読んでいるならば、こういう事もあるのだから、弱気になる必要などまったくないという事を伝えておきたい。
私は本作を見てそんな体験を思い出したが、そうした教訓のひとつでも得られたならば、『彼女の名はサビーヌ』の存在意義も大いにあろう。