『ハンコック』85点(100点満点中)
Hancock 2008年8月30日(土)より、丸の内ピカデリー1ほか全国ロードショー 2008年/アメリカ/92分/配給:ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント
監督:ピーター・バーグ 脚本:ヴィンセント・ノー、ヴィンス・ギリガン、音楽:ジョン・パウエル 出演:ウィル・スミス、シャーリーズ・セロン、ジェイソン・ベイトマン

ウィル・スミスが嫌われ者ヒーローを演じるトンデモ作

ウィル・スミスは暑い男だ。暑いというのは、彼が圧倒的に夏に強いという意味で、その出演作は7月初旬の独立記念日シーズン(米国でもっとも映画興行が盛り上がる季節)の歴代ベストテンに4本も入っている。そのひとつとなったこの『ハンコック』は、彼の主演作としては8本連続初登場1位という華々しい記録も奪取した。

まさにハリウッドのイチロー。いまアメリカでもっとも打率が高く、映画業界から絶対の信頼を置かれているのは間違いなくこのウィル・スミスといえる。

弾丸を跳ね返す体で空を自由に飛びまわり、車を簡単に投げ飛ばす怪力を持つハンコック(ウィル・スミス)。だが、チンケな悪党ひとり捕まえるのに町中破壊するその釣り合いの取れぬ行動に、市民やマスコミの人気は最低。現れると子供にまで中指をおっ立てられ、帰れ帰れとブーイングされる始末。すっかりひねくれてしまったハンコックは酒におぼれ、酩酊してさらに町を破壊する悪循環。そんな彼があるとき救助したのは、広告代理店のPRマン(ジェイソン・ベイトマン)。彼は命を救われたお礼に、ハンコックを人々から好かれるヒーローにしてやると、そのイメージチェンジを手伝うことに。

ハンコックはよくあるアメコミ映画ではなく、映画専用の脚本によるオリジナルストーリーだ。そこが最大のポイントで、この作品は相当色濃く現代の世相を表している。

ハンコックは地球唯一のスーパーパワーを持ちながら、いまや世界随一の嫌われ者となったアメリカ合衆国そのもの。それがある者(ヒーローではない一般市民)の助けを受け、世界中から好かれる真のヒーローに生まれ変わる。その過程で何がおき、ハンコックはどんな行動をとるのか。これがなんとも思わせぶりで、大いにうならされた。

この一見能天気な、中身うすっぺらなヒーローアクションにハリウッドの首位打者が主演し、最大級の予算が投じられ、全世界に輸出される。地球のあちこちで、あらゆる宗教を信じる若者がこれを見る。その思想に、なにがしかの影響を与える事を想像してほしい。

この映画の後半の展開(ここはネタバレ厳禁)について、多くの批評家が非難している。当然だ。どう見てもとってつけたような急変だし、作品を面白くしているとも思えない。なんだこれ? と、明らかに違和感が残る形になっている。

……が、この作品が今後の世界情勢を投影したものだと大胆に仮定するならば、これはきわめて重大な問題提起だ。私も当初この部分だけがよくわからなかったのだが、8月8日に北京五輪を嘲笑するように始まったグルジアとロシアの戦争を見て、ようやく謎が解けた。

この紛争を簡単に説明すると、ようはコーカサスの番長ロシアによる「西側諸国への警告」。ロシア向けを除く主要な(西側向け)石油パイプラインが真っ先に破壊されたことでわかるとおり、自分を仲間はずれにして石油を動かすなんて許しませんよというわけだ。かつてアフガニスタンで起こったことが、いまグルジアで起こっている。グルジアは、第二次東西冷戦の最前線になった。

もっとも米国にとってこの"警告"は、いまや国内で唯一残った優良輸出産業である軍事産業にとって、長期にわたる好景気が保障されることになり大変好ましい。内需がガタガタとなった現在、外需によって経済を立て直すのは米政府にとって急務。仲良し米露があえて離れて活動するというのは、互いの利益に沿っている。そんな今後の国際情勢のプロパガンダだとするなら、「ハンコック」の後半部分の奇妙な展開は空恐ろしくなるほどだ。

とまあ、お気楽ハリウッドエンタテイメントから色々妄想するのも、ひとつのやり方として提案したいところである。もっとも冒頭の高速道路アクションなどは、どえらい迫力だから、単なるノーテンキ映画としてもイケる。毒のあるコメディとしても最高だ。

何も考えず見ても面白いし、余計なことを考えながら見ても楽しい。「ハンコック」は必見の大作として、今週のオススメとしたい。



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