『ダークナイト』97点(100点満点中)
The Dark Knight 2008年8月9日(土)より丸の内プラゼール他全国ロードショー 2008年/アメリカ/カラー/152分/配給:ワーナー・ブラザース映画
監督:クリストファー・ノーラン、脚本:ジョナサン・ノーラン クリストファー・ノーラン 出演:クリスチャン・ベール、マイケル・ケイン、ヒース・レジャー、マギー・ギレンホール

歴代バットマン映画最高成績にして最高傑作

『ダークナイト』は、米国ではいまや興行新記録の投売り大セール状態である。その勢いたるや、永遠に破れないと言われた「タイタニック」の不沈神話にも迫る勢いだ。世界の映画史上、間違いなく記録に残る作品となったこの特大話題作は、中身のほうも文句なしの大傑作である。

ゴッサムシティに前代未聞の冷酷な犯罪者ジョーカー(ヒース・レジャー)が現れた。バットマン(クリスチャン・ベイル)とその理解者、ゴードン警部補(ゲイリー・オールドマン)をあざ笑うかのように悪行を繰り返す彼の前に、新任の地方検事ハーベイ・デント(アーロン・エッカート)が立ちふさがる。デントのゆるぎない正義の心と行動力を知ったバットマンは、自らの役目が終わったことを悟り、彼に街の治安をゆだねる決意をする。

スーパーマンやスパイダーマンと違い、バットマンは超能力を持たない。彼はブルース・ウェインというただの人間、資産家で、特注の防御服や装甲車の力で犯罪者をやっつける。誰にも頼まれていないのに、彼は一人自警団として、しょっちゅう大怪我をしながら街の安全を守っている。世界一な親切なおかねもちなのである。

だが、その行為は法の精神に反する。法で裁けぬ悪を、強大な力で制するバットマンは、法治国家の中では犯罪者に分類されてしまう。おまけに彼の強さは人々の注目を集め、だからこそそれに挑むかのようにさらに凶悪な連中が現れる。ジョーカーがまさにそれで、彼らは表裏一体、呼び合うようにこの世に生まれた。

そのジレンマにバットマンは悩み続ける。ジョーカーはそこを執拗に攻め、彼を内部からズタズタにする。ジョーカーはバットマンを必要とし、バットマンもまたジョーカーを必要とする。そんなロジックに、ヒーローは脆くも吸い込まれていく。

このスパイラルから、どうやって抜け出すのか。そこが本作のドラマとしての見所だ。

それはまるでイエス・キリストの物語のようであり、同時にアメリカという国自身のそれのようでもある。ヒーロー映画に自らの国民性を投影するのは当然のこと。正義のため、理想の社会を作るための汚れ役を引き受けるものの悩みと葛藤。力を持つ存在が、結果的により強大な悪を生み出すという善悪の発生原理。

これはもう、「世界の警察」アメリカをここ数年悩ませ続けた命題に他ならない。そしてその答えをこの映画は出している。私は大変興味深くそれを見た。今回バットマンは、正義の遂行のため、なんと市民の盗聴(エシェロン)にまで手を出すのだ。そんな彼らの決意の結果がどうでるか、それはぜひ劇場で。

「バットマン」はアメリカンヒーロー界のトップに君臨するだけに、映画化に求められるレベルが高く、これまで迷走を繰り返してきた。ティム・バートン監督が内容をダークサイドに振りすぎてクビを切られたかと思えば、その後は"Mr.フリーズ"シュワちゃんがあの能天気な笑顔でバカ騒ぎするなど、対象が子供向けになるとともに作り手の知能指数も低下の一途をたどった。

だが、前作『バットマン ビギンズ』(05年)からついに正しい方向を見つけたようだ。クリストファー・ノーラン監督は、この新シリーズ開始にあたって、ワーナーのお偉方を前に延々45分も自分がいかにバットマンを愛しているか、これまで以上のすごいものを作れるかをまくしたてたという。どこのクレーマーかと見まがうような情熱である。

その剣幕に圧倒されたか、あるいは単に尻が痛くなったのか、彼らは「そんなに言うならお前が撮ってみろ」とGOサインをだした。その決断が、史上最高の興行成績という大成功を呼び込んだ。

28歳の若さで急逝したヒース・レジャーが、類まれなる執念の役作りを行ったことも大きい。なにしろジョーカーといえば、かつてあのジャック・ニコルソンが演じた(『バットマン』(1989))キャラクター。いかにヒースが人気者といえど、役者としての実力と格は比べ物にならない。彼にとってジャックはほとんど雲の上の人だ。同じ役を引き受けることは、相当なプレッシャーであり、生半可な覚悟ではなかった事は間違いあるまい。

その難役を、彼はパーフェクトにやり遂げた。実際には撮影途中だった新作が、代役を立てて完成させる意向なのでそちらが遺作になるかもしれないが、彼が最後まで演じたキャラクターはこのジョーカーが最後だ。そして、その完成度はきわめて高い。J・ニコルソンをある意味凌駕する、ものすごい狂気の男と化している。

私はこの『ダークナイト』を、この夏のダントツ最高傑作として皆さんにすすめる。できればDVDなどで『バットマン ビギンズ』を見た後に挑んでほしいが、これ単独でも十分に楽しめる。好きなだけ深読みできる奥行きの深さもあるし、単なるアクション大作としても申し分ない。152分間の上映時間を、これほど無駄なく、至福のものに作り上げたスタッフ・キャストの皆さんに、私は最大の敬意を表する。



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