『マイ・ブルーベリー・ナイツ』30点(100点満点中)
My Blueberry Nights 2008年3月22日(土)東宝洋画系にて全国拡大ロードショー/2007年フランス=香港/1時間35分/配給:アスミック・エース 配給協力:ファントム・フィルム

オシャレなポスターに惹かれた方は要注意

『マイ・ブルーベリー・ナイツ』を見たがる人は、ウォン・カーウァイ監督の信奉者かノラ・ジョーンズのファン、それよりはるかに少数だがジュード・ロウマニア以外にいるはずがないと私は思っていた。しかし最近、周辺のおしゃれな女子数名が立て続けに見たいというので聞いたところ、揃って「ポスターに一目ぼれした」という。CDのジャケット買い、小説の表紙買いというのはよく聞くが、映画にもそういうものがあるらしい。

ニューヨークの古いデリの若きオーナー、ジェレミー(ジュード・ロウ)は、お客のエリザベス(ノラ・ジョーンズ)から「別れた彼氏がきたら渡して!」と、不要になった合鍵を預かる。そんな頼みをしょっちゅう聞いていたジェレミーは、彼女ともすぐに親しくなる。毎夜遅くやってきて、売れ残りのブルーベリーパイを愛しげに食べる彼女に好意を抱くジェレミーだったが、あるときエリザベスは突然NYを飛び出し、一人旅に出てしまう。

そこから先、アメリカを縦断するエリザベスとNYのジェレミーの物理的距離は離れる一方だ。ただそのまま疎遠になるわけでは無く、エリザベスはちょくちょく彼に手紙で近況&心情報告をする。

だがこれも曲者で、手紙は書くも返信先が不明なのでジェレミーは返事を届けられない。女にとっては失恋後の手ごろな精神的リハビリかもしれないが、男はただ食べられ消えてゆくブルーベリーパイとは違う。届かぬ返事にこめるジェレミーの思いは日に日に強まっていく。

その結果、物理的距離は離れながらも二人の心理的距離は逆に縮まっていく。普通は互いの距離を頻繁なコミュニケーションによって埋めるのに、この映画のカップルはまったく逆の方法で成し遂げる。恋のせつなさを描く名手ウォン・カーウァイ監督は、かように画期的な恋愛ドラマ作りに成功した。ただ、それがどうしたと言われれば返す言葉も無い。

そもそもこの監督の映画は、物語を楽しむ類のものではない。初のハリウッド&英語作品である上、毎度のスター起用主義のせいで誤解されがちだが、ウォン・カーウァイはきわめて個性的かつ対象を選ぶ映画作家。

少なくともこれを、よく知らぬ相手とのデートムービーに使おうなどとは、間違っても考えないほうがよい。逆に、万が一初デートで彼女がこれを選んできたら、相手の男性は不運である。なにしろ最後まで目を覚まし続けねばならぬ試練に耐えるハメになるのだから。そしてその難関を達成しても、きっと何のご褒美も出ない。

ウォン・カーウァイ映画は、比較的観客に作品へ擦り寄ることを要求するタイプだと私は思っている。だから見る側は、監督の意図を何割かでも感じ取ろうと努力し、共感する形で楽しむのが基本。つまり、正しい解釈探しが好きな人に向く。

だが、そんなものには興味を持たず、自分の好きに感じ取りたい人も世の中にはいる。どちらが正しい映画の見方と断じることは、もちろんできない。

被写界深度がやたらと浅い前ボケ画面は、前者にとっては対象を覗き見るような距離感が絶妙でステキ! アジアンチックでスタイリッシュなさすがの映像美だわ! となるが、後者の人にはうっとおしいだけ。会話する二人を同一フレームに入れず、徹底して一人ずつクローズアップする特徴的な演出もまたしかり、だ。

ともあれ、都会的でオシャレなラブストーリー然としたあのポスターをみて、気軽に表紙買いするおつもりの冒頭の女性たちには間違いなく向いてなかろう。ここはご愁傷様というほかない。えっ、忠告してやれと? この世でもっとも説得するのが困難な相手に、どう説明しろとおっしゃるか。



連絡は前田有一(webmaster@maeda-y.com 映画批評家)まで
©2003 by Yuichi Maeda. All rights reserved.