『凍える鏡』80点(100点満点中)
2008年1月26日よりシネマ・アンジェリカほかにて全国順次ロードショー 2007年/日本/100分/配給:「凍える鏡」製作事務所

不器用な人間たちの、優しい再生物語

タイトルの「鏡」は、オーストリアの精神分析学者ハインツ・コフートの心理学理論からの引用で、端的に言うと母親のこと。子供にとって親は自分を投影する鏡であり、それを見ながら自己を育成するという。この映画の登場人物にとっては、その「鏡」が、凍えるほど冷たい存在というわけだ。

路上で自分の絵を売る若者・瞬(田中圭)と、年老いた女性童話作家・香澄(渡辺美佐子)が、あるとき出会い、やがて意気投合した。行き場のない野良犬のような目をした瞬は、わずかな事ですぐキレる若者だった。香澄は一人娘で臨床心理士の由里子(冨樫真)に、彼のカウンセリングを任せてみるが……。

登場人物はほぼこの3人。実の母娘とひとりの青年。娘と青年はカウンセラーと患者の関係でもある。

仕事を優先して早々に離婚した娘と、本当は孫の顔が見たかった母。この二人の関係は決してうまくいっているとはいえない。母は、わが子との関係をやり直すかのように、出会ったばかりの天涯孤独な青年の方にのめりこんでいく。

この若者はかつて実の母親に虐待された過去があり、はじめて触れた(香澄による)無償の愛を心地よく感じながらも、3人の中で自分の居場所をどこに定めればいいのか、戸惑っている。

各人物にはシンプルながらも、こうした説得力のある背景が設定され、話の運び方にも無駄がない。台詞には血が通っており、この監督(大嶋拓…脚本と編集も担当)の人物描写力の確かさを感じ取れる。こういう人が作った人間ドラマは、映画館で見る価値、大いにありといえる。

瞬という若者は、幼児期の愛情不足により、とてつもなく不器用な人間になってしまった。彼が、香澄が急な発作を起こしたとき、混乱しながらも発する言葉がいい。この青年の心の傷の深さと、香澄に対する必死の愛情表現を表した名セリフである。

後に、香澄がその思いに応えることになるが、この場面もまた必見。香澄という、一見立派な母親が、じつは瞬と同じように不器用な人間であり、彼に負けないくらい深い寂しさを抱えていたことがわかる。それでも必死に相手を求める心の動き、そのつたなさが見るものの胸を打つ。

瞬が最後に描く絵は、このうえない幸福感を観客に与える。レビューを書くのが遅れ、すでに公開中となってしまった作品ではあるが、明日にでも見てほしい佳作だ。



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