『椿三十郎』35点(100点満点中)
2007年12月1日(土)日劇PLEXほかロードショー 2007年/日本/119分/配給:東宝
黒澤明を出し抜く覚悟はあったのか
『踊る大捜査線』映画版の記録的ヒットにより、堰を切ったようにテレビ局による大作映画が氾濫した近年の邦画界。顧客のニーズを的確につかんだその映画作りは大成功し、ついに洋画の興行収入を上回るところまできた。私が長年望んでいた邦画の隆盛が実現したわけで、大変好ましく思っている。
しかし当初から危惧していたとおり、二の矢三の矢がない状況へと陥り、彼らのビジネスモデルは早くも袋小路にぶちあたりつつある。せっかく大きく儲けたのだから、余裕があるうちにオリジナル企画とそれを出せる人材を育てておけばよかったのに、良質な原作漁りと使い捨てばかりやってきたツケが回ってきたのである。
そして挙句の果てには、黒澤明作品のリメイクという禁断の果実にとうとう手を出した。これがうまくいったら、次は小津や溝口、木下と、古典資産の使いつぶし、いやリメイクが続くのであろう。ともあれその先陣となるのが、織田裕二主演の『椿三十郎』だ。
町外れにある無人の社殿で、上役の不正の告発の相談をする井坂伊織(松山ケンイチ)ら若侍9人。そこに突然薄汚れた浪人(織田裕二)が現れ、慌てふためく侍衆に逆に的確なアドバイスをして驚かせる。どうやらこの男、ひょうひょうとしてはいるが、相当な修羅場をくぐってきているようだ。しかも乗りかかった船だからと、力を貸してやるとまでいうのだった。
謎の浪人椿三十郎が、敵勢力を口八丁で手玉にとり、多勢に無勢な若侍たちと大金星を狙うスリリングな攻防戦。物怖じしない主人公の頼もしい態度とユーモラスな会話、切れる戦略家ぶりが痛快な、シナリオとキャラの魅力で見せる時代劇ドラマだ。
リメイクには色々なやり方があるが、これは62年のクロサワ版と同一脚本を使った完全なコピー。セリフからキャラクター作り、構図の決め方までほとんど同じだ。
とくに、デビュー20周年の鳴り物入りで始めたテレビドラマが大コケし、急遽こちらを記念作品に変更した織田裕二の力の入れようはすごい。オリジナルで三船敏郎が演じた三十郎を、ものの見事に2007年に再現している。賛否は分かれようが、少なくとも織田の三十郎は、日本一のミフネコピーと言って差し支えなかろう。
それにしても森田芳光監督(「間宮兄弟」(06)、「失楽園」(97)など)は、相当黒澤明に傾倒しているようだ。作品から感じられるその愛は、観客よりも、天国のクロサワの方ばかり向いて作っているんじゃないかとすら思えるほど。リメイク監督が原版のそれに敬意を払うのは立派なことだが、個人的にはその威光にのまれてしまうようではいけないと思っている。
何しろあれから45年も経っているのだ。現代を代表する映画人として、その間の映像技術や映画作りの進歩を、当時のファンとスタッフに見せ付けてやるくらいの自信とチャレンジ精神がなくてはならない。優れた元ネタをたたき台にして、なにか一つ要素でも高めてクロサワを出し抜いてやる、うならせてやるといった大胆さ、気概は果たしてこの監督と製作者たちにあったのか。
ところで、コピーとはいえ三船と織田ではタイプが違うわけで、やはり受ける印象も大きく異なる。07年版の方が軽い、といってもユーモアによるそれではなく、ちょいとケーハクな感じがする。だがそれは織田の魅力でもあり、決して悪いわけではない。むしろよくないのは、現代では通用しないような、シナリオ面における不具合の修正が足りないことだ。ただ具体的な指摘は重大なネタバレにつながるのでここでは避ける。
それにしても織田裕二も、敵の切れ者豊川悦司も、若侍の松山ケンイチも、みな本当によくやった。殺陣もラストの有名な戦いも、まったく不安はなかった。彼らの素晴らしい演技がなかったら、正直30分で出ていたかもしれない。
とくに、いつもながら織田裕二はじつにいい。毎回完璧に役作りをしてくるし、表情やセリフの言い回しだけでこちらを引き付けて離さない。次のクロサワリメイクにはまったく興味がわかないが、次の織田作品は大いに楽しみだ。この調子で頑張っていただきたい。