『自虐の詩』65点(100点満点中)
2007年10月27日、渋谷シネクイント、シネ・リーブル池袋ほか全国ロードショー 2007年/日本/1時間55分/配給:松竹
まわりに溢れる幸せに気づかせてくれる感動ドラマ
ものの本によれば、女性には2種類のタイプがいるという。それは、女王様型とボランティア型。(男に)つくされて喜ぶか、それともつくして喜ぶか。ブサメンなのに美人にモテる男たちは、アカギが捨て牌をエリアで分けるがごとく、ボランティアタイプを本能的に見分け、アプローチしている。
もっと具体的にいうと、酔っ払って強引に迫られると断れない、「きれいだね」より「いつもありがとう」と言われる方が嬉しい、歴代彼氏が俗に言うダメンズばかりというアナタは、間違いなくボランティアタイプである。運が悪いとヒモまがいのろくでなしを一生養い続ける事になるから要注意だ。
『自虐の詩』のヒロインもその典型で、ハタからみるとどうしようもないヤクザものの面倒をみている。この男ときたら、一切働かないどころか籍すら入れない。短気で暴力は振るう、酒とタバコとパチンコが好き、彼女のなけなしの給料は持っていってしまう。いったい何が楽しくて一緒に暮らしているのかと周囲は思うが、本人はこれが幸せという(あるいは思い込もうとしているのか)。
そんな"超"ボランティア女である彼女に、はたして本当の幸福は訪れるのか。週刊宝石で6年間にわたり連載された業田良家の人気四コマ漫画が、ついに実写映画となる。
舞台は大阪の下町。幸江(中谷美紀)はしょぼくれたアパートで、元ヤクザのイサオ(阿部寛)と二人で暮らしている。気に入らないとすぐにちゃぶ台をひっくりかえす暴力ダメ男であるイサオに振り回されつつも、孤独な幸江はこの暮らしを必死に守ろうとしている。あるとき勤務先の、これまたしょぼくれた大衆食堂のマスター(遠藤憲一)から、見かねた様子でプロポーズされるが、彼女は振り向こうともしないのだった。
主演作『嫌われ松子の一生』では、まったく救いのない転落人生を歩むヒロインを演じた中谷美紀だったが、今回はそれに輪をかけたド不幸娘の役。演技力以前に、その役選びの自虐さに涙が出てくる。これで万が一私生活で転んだら、タブロイド紙の老練な芸能記者たちが、きっとキョーレツな見出しをプレゼントしてくれるだろう。
とはいえ、さすがは元松子。シリアスとコメディの演技上のバランス感覚は特筆すべきものがあり、見ていてイタタ……とはなっても決してドロドロした気分にはさせない。シャレになるぎりぎりの所を巧妙に綱渡りしていく。
一方ダメ男の阿部寛は、さすがにコメディパートは上手いのだが、シリアスに変調した際には中谷らの好演に置いていかれ気味。いや、そもそもパンチパーマやロンゲなど、今回の役は見た目があまりにもグロテスク(失礼)。ほとんど冗談としか思えぬほどであり、多少はやむをえないというべきか。
原作は4コマ漫画でありながら、ヒロインの暗い過去を連続エピソードの形で描き、連載を通して大河のような大きなストーリーラインを構築し、怒涛の最終回まで盛り上げていった稀有な作品。資料によれば、日本一泣ける四コママンガとさえいわれているそうだ。
この映画版では、終盤に起こるある事件での、ヒロインの回想場面にシリアスな要素を凝縮させるエキサイティングな構成。各キャラが抜群に魅力的に描けている分、この切り返しは鮮やかに決まり、大きな感動を呼び起こす。とくに幸江の中学生時代、同じ貧乏家庭出身ということで唯一の友達となった熊本さんとのエピソードが素晴らしい。
ただし問題は、映画としてここを頂点にもっていけば収まりがいいと思しき場面のあとに、ダラダラと話が続いていく点(ちなみにエンドロールの後にも、シーンを残している)。それぞれの話は泣けるのだが、決してまとまりは良くない。伏線もなく母親が出てくるあたりも、あまり必要性を感じない。
堤幸彦監督らしいバタくさい映像は、原作でおなじみの"ちゃぶ台返し"をVFXを効果的に使い楽しく演出する。彼の仕事同様、テンポが早い展開は、起承転結のもっともシンプルな具現化といわれる4コマらしいとも言えるだろう。
"ボランティア女"は不幸になりそうなイメージがあるが、実際はこのヒロインのように、(気づくかどうかはともかく)すでに幸せを手にしていることも多いはずだ。幸福の指針を他者ではなく自分の中に持つということは、決して間違ってはいない。かくいう私もそんなボランティア女性が大好きだ。……いや、決して不純な意味でなく。