『アーサーとミニモイの不思議な国』30点(100点満点中)
Arthur et les Minimoys 2007年9月22日(土)、丸の内プラゼールほか松竹・東急系にて全国拡大ロードショー 2006年/フランス/1時間44分/配給:アスミック・エース

ベッソンの個人的趣味を反映したヒロインが気持ち悪い

映画作りに疲れきったフランスの映画監督リュック・ベッソンは、この子供向けファンタジーアニメ三部作を最後に引退を宣言している。

10歳の好奇心旺盛な少年アーサー(声:フレディ・ハイモア)は、屋根裏で祖父の残したメッセージを見つける。そこに書かれた財宝の地図はなんと自宅の裏庭。その地下には身長2mmのミニモイ族の世界があり、どこかにルビーが埋められているというのだ。

アーサーの家は借金取りに追い込みをかけられており、ルビーを見つけなければ我が家を失うことになる。また、やがて訪れる地下世界では、ミニモイ族が直面する危機回避も請け負う羽目になる。そんなダブルのプレッシャーを背負う勇者として、彼は冒険をはじめる。

フランス映画界をあげて、全編CGによる大作アニメに挑戦した意欲作。アイテムも舞台も子供の想像力の届く範囲で仕上げたところが良い。たとえば裏庭の地下に広大なファンタジー世界が広がっているとか、ストローやボール、ミニカーなど普段の自分のおもちゃがそこで役に立つなどがそれにあたる。(もっとも日本の都心部に住む子供たちにとっては、裏庭なんてモノ自体がファンタジー並みに縁遠いのだが)

たとえば同ジャンルの最高峰のひとつ、ナルニア国ものがたりでは、洋服ダンスの奥にファンタジー世界が広がっていたが、このような「身近性」ともいうべきアイデアは、子供のワクワク心を大いに盛り上げる。また、元々はデカイ人間が、小人の世界にやってきたという点はある種の優位性を感じさせ、普通の少年が大活躍する展開に説得力をもたらす。

だが、そうした舞台設定を素直に娯楽性に生かせないところがフランスとアメリカ映画の違いだ。米国市場を睨んで舞台を米国にしたり、無理してストレートなストーリーにしたものの、すべて裏目に出た。「ド定番を盛り上げる難しさ」の壁を乗り越えることなく、そのまま撃沈した格好だ。

だいたいこの映画は、キャラクターに魅力がない。それを立てるためのエピソードが圧倒的に足りない。たとえば主人公の少年の性格付けを明らかにするための、地上での描写に力がない。「こういう性格の少年が、地下の異常な状況下では意外にも大活躍する」という基本軸の構築があやふやなので、感情移入しにくいのだ。

ところで本シリーズはリュック・ベッソンの引退作だそうだが、随所に彼の好みが出まくっているのが笑える。たとえばヒロインの顔の造形など、『ニキータ』のアンヌ・パリローや『フィフスエレメント』のミラ・ジョヴォヴィッチといった、ベッソンの元カノたちの面影がありすぎる。こんなお子様アニメにそうした監督のフェチシズムの露見を感じてしまうと、観客としては気持ちが悪い。

また、私が見た日本語吹き替え版はこのヒロインを演じた役者の演技力が不足気味で、物語への没頭を邪魔された。英語版のマドンナの可愛い声で見たかった、というのが正直なところだ。そのほかにも、演じる芸人の持ちネタをアドリブ風に入れたりなど、世界観をきっちり維持しなければならないファンタジーとしては、致命的な演出のミスが見受けられ、まったくオススメできない。

いずれにせよ、本作には光るものがなく、とくに大人の観客にはすすめようがない。あえていうなら、広い庭をもつ地方の人で、子供がどうしても見たがっているのならば、多少は引っかかるものがあるかもしれない。



連絡は前田有一(webmaster@maeda-y.com 映画批評家)まで
©2003 by Yuichi Maeda. All rights reserved.