『22才の別れ Lycoris 葉見ず花見ず物語』50点(100点満点中)
2007年8月18日、テアトル新宿にてロードショー 2007年/日本/119分/配給:角川映画

『転校生』より上の世代向けの青春?ドラマ

先日公開された『転校生』リメイク版の記憶も新しい大林宣彦監督による、切ない系ドラマである本作は、同時に同監督の『なごり雪』(02年)に続く、昭和フォークの名曲の映画化作品だ。モチーフとなった伊勢正三の『22才の別れ』は、老若男女誰もが知ってるであろう人気曲で、作中でも何度もあの悲しげなメロディが流されている。

福岡で商社マンとして高収入を得ている44歳の川野俊郎(筧利夫)は、もう37にもなる同僚の独身OL(清水美砂)と、結婚するわけでもなくダラダラとした付き合いを続けていた。そんなある日、川野は『22歳の別れ』を口ずさんでいた不思議系コンビニ店員の少女(鈴木聖奈)と、妙に気のあった会話を交わす。すると後日、バイトを辞めた彼女が彼の家の前で待っているのだった。

さて、この不思議ちゃんはあろうことか主人公に、「エンコーしませんか」などと言う。センター街の地べたで座っている、顔の色のコントラストが激しい女の子たちならともかく、どう見てもそういうセリフが似合うティーンではないのだが、はたして彼女の意図やいかに。

主人公は、カネも多少のヒマもある余裕あるオトナであり、独身生活が長い人間特有の「とくに必要に迫られないから結婚もしない」という、人生の勝ち組いや、さびしい男である。むろん、たかだか小娘ひとりにがっつくわけもなく、まあ、行くトコないならとりあえず寝泊りはしてったら程度の半同居生活のようなものを始める。そして、徐々に少女の不思議な二重生活の実態や、自分の過去との意図せぬ因縁が明らかになっていくという展開だ。

そうしたドラマ上の"真相"には、大林監督なりの社会問題や思想、とくに格差社会やフェミニズムに対する回答提示が含められている。劇中で語られるLycoris、すなわち彼岸花の球根についてのエピソードなどに象徴されるその意見は、保守化が進むいまどきのワカモノにとってはすこぶる過激なものだろう。

だが、強い自己肯定を背景にしたそうしたリベラルな意見は、底辺で生きるものに対して心強い考え方であることは間違いない。私としても、心情的に同意したくなる部分が多々あった。このあたりはまさに、4畳半の同棲相手とてぬぐい持って銭湯にいく、昭和フォーク的な世界観である。

映画作品としては、相変わらずの意味不明なナナメカメラに加え、異様に照明を落とした撮影などつくりすぎな演出が目に付く。屋外の天候を強調するためもあろうが、最初のコンビニ内部のシーンなどあまりに暗すぎて、てっきり停電でもしているのかと私は思った。登場人物がとにかく電灯をつけないというのは、世界中の映画の特徴でもあるが、この映画ほどあからさまなものはあまりない。

ただ、映像にこだわる大林監督らしさが良いほうに出たシーンも少なくない。たとえば彼岸花の群生地の場面であるとか、キャンドルを入れた竹筒(なんと呼ぶものか)が道にぎっしりと並べられた場面、そしてヒロインが最後に見せる表情など、心洗われんばかりの映像美の数々には大満足だ。

『22才の別れ Lycoris 葉見ず花見ず物語』は、そのタイトルが示すとおり、ターゲットを60年代生まれ〜のややオジサンたちに絞った作品で、その意味では中学生カップルからいけた『転校生 -さよなら あなた-』より上の世代向きということができる。どちらも切ない感動を得られる青春ドラマだが、鑑賞者の年齢によって映画館を選択すれば良いというわけだ。



連絡は前田有一(webmaster@maeda-y.com 映画批評家)まで
©2003 by Yuichi Maeda. All rights reserved.