『夕凪の街 桜の国』65点(100点満点中)
2007年7月28日、シネマスクエアとうきゅう、シネ・リーブル池袋ほか全国ロードショー! 2007年/日本/118分/配給:アートポート

田中麗奈の自然体演技が作品の質を高めた

夏になると戦争関連の映画が増えてくるが、原爆とその傷跡をテーマのひとつとしたこの『夕凪の街 桜の国』は、試写を見た周辺の映画関係者の評判がすこぶる高かったので、私も個人的に気になっていた。

原爆投下から13年経った広島。復興目覚しいこの街で、平野皆実(麻生久美子)は事務員として働いている。ある日彼女は同僚(吉沢悠)から告白されるが、それを機に将来を意識するようになり、同時に被爆者としてのコンプレックスと原爆症への怯えが表面化してくるのだった。

上記あらすじは、二部構成の前半である『夕凪の街』の冒頭部分。その主人公平野皆実の報われない愛を追うことで、投下からわずか13年後における被爆者たちが当時感じていた恐怖、疎外感を浮き彫りにする。原作漫画の構成にほぼ忠実なまま、映画も進行する。

彼女の物語はしかし明確な完結を見ぬまま、第二部にあたる『桜の国』が始まるのだが、こちらは時代が現代に移る。主人公は皆実の弟の娘、つまり姪にあたる石川七波(田中麗奈)だ。

堺正章演じる父親の最近の行動を不審がる七波は、ある夜父のあとをつけてみるが、なんと彼は電車にのってそのまま広島まで行ってしまう。七波は偶然駅ででくわした友人の利根東子(中越典子)を巻き込み、二人で尾行作戦を開始する。父の行き先はなにやら原爆に関わる場所ばかりのようだが……。

映画関係者の評判が良い戦争関連映画というものは、ネット風にいえばサヨク的というか、平和の大切さを謳った反戦映画であることがほとんどだ。本作もその例に漏れず、原爆が個人とその家族に与えた甚大な影響を、二つの時代、世代を順に描くことで静かに、しかし強烈に訴える。

これが潤沢な予算を誇る米国映画であれば、原爆投下シーンをVFXを駆使していくらでも残酷、ショッキングに描くことができるのだろうが、本作はそういうことはしない。すんでのところで爆風から生き延びながらも、放射能の魔の手からは決して逃げられないちっぽけな一人の女性のその後の生き方を追うことで、間接的に核兵器の怖さ、無情さを伝えようとする。

とくに第一部は、先が気になるようなエピソードはまったくないから、皆実の運命をわが事のように見つめられる人でなければ興味が続くまい。ただそうした人でも第二部が始まれば別。田中麗奈と中越典子の不思議な冒険の旅は、堺正章の行き先や目的が不明ということもあって、純粋な意味で見ていて面白い。

田中麗奈は現代っ子ではあるが、この旅を経て自分のルーツを見つめなおし、皆実の思いを現代に受け継ぐ重要な役柄。相変わらず大画面に負けない存在感と演技力で、爽やかな印象を与えてくれる。あまりオンナを感じさせない純粋で自然体なこうした役柄はもっとも得意とするところだ。

逆に中越典子はフェロモンでまくりといった感じの女優で、ベッドの上で軽く寝返りするだけで男をドキっとさせるタイプ。正反対なキャラクターながら、二人の息はぴったり合っている。

彼女たちがひょんな事から場末のラブホテルで休憩することになる場面がある。そこで田中麗奈が「こーゆートコよく来るの?」と質問して、中越典子の返答を聞いた際の表情が面白い。この友人と自分の弟がつきあっている事を実は知っている姉としての好奇心と複雑な思い、「イヤな事きいちまった」てな様子がとてもユーモラスに表現されていてかわいらしい。

この映画における"原爆投下"は、まるで理不尽な天災のごとき扱い方だ。実際には同じ人間であるはずの海の向こうの国の人々が、明確な殺人の意思と共に落としたものであるはずだが、そういう恨みがましい事を言うムードは一切ない。それは、いま広島で毎年関連行事を行っている人々の多くに共通する特徴でもある。

つまりは、この映画も他の多くの日本の戦争映画と同じように、戦争を受身の立場で感じるほかない女性たちの視点で作られているということだ(じっさい試写室では女性の観客の泣き声が目立っていた)。

他の佐々部清監督(『四日間の奇蹟』『半落ち』など)作品同様、平均点以上ではあるが手放しで褒めたくなるほどの出来ではないものの、そうした視点を忘れがちなアメリカの古い政治家などに一度見せてやりたくなるような作品だ。あとは「原爆投下は仕方がない」発言など、言っていいことと悪いことの区別もつかない、どこかの国の元防衛大臣にも。



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