『大日本人』20点(100点満点中)
2007年6月2日、全国松竹系にてロードショー 2007年/日本/配給:松竹

幼児の積み木遊びがごとき

ダウンタウンの松本人志初監督作である本作は、同じくお笑い出身ながら専業監督以上の実績と評価を得ている北野武の存在により、過剰なまでの期待と話題性を背負っている。カンヌ映画祭で監督週間へ出品という最高のハクをつけ、北野映画最新作と同時期に公開するという完璧な戦略により客の入りも上々だ。今回、私はこれを、地元亀有の映画館で初日に見た。

一見しょぼくれた中年男の大佐藤(松本人志)は、テレビの取材を受けていた。意外にも彼は、代々世襲される日本の伝統的職業の6代目にして最後の一人なのだった。取材陣は彼に密着し、その庶民的な暮らしぶりを伝えるが、突然防衛庁らしき方面から連絡が入ると、大佐藤はスクーターで変電所のような奇妙な施設に急行する。

何も知らない人がみたら仰天するストーリーがこの先には待っている。明らかに「知らないで見てほしい」というつくりになっているので、このサイトでは他のメディアのようにネタばらしはしない。

冒頭から視点は徹底して取材カメラのそれで、こちら側から発せられるインタビュアーの質問に、ぼそぼそと松本人志演じる大佐藤が答えるという展開。遠慮なく繰り出される失礼千万な質問の数々に、微妙な間を持って答える大佐藤。松本監督の笑いのセンスが遺憾なく発揮された、シュールなコメディだ。

と同時に、観客はいったいこの中年男の職業が何なのか、否応なく気になってぐいぐい引き込まれる。男が住む家の庭には埃をかぶった遊具などもあり、複雑な家族構成をも予感させる。間接的なヒントをちりばめつつ主人公に関する謎を深めていくあたり、いかにも映画好きの監督らしい通好みなストーリーテリングといえる。

複雑なドラマ仕立てにして構成、撮影、演技に苦労するよりは、いっそこのやり方一本で貫こうという現実的判断だろう、映画はこの先もずっと「テレビ局による取材映像」視点のまま進む。主演の松本監督自ら、膨大なしゃべりによって独特の世界観を構築していく。時折社会批判的な一面も垣間見せるが風味付け程度のもので、そこに主題があるわけではないようだ。

CGによるスペクタクルの数々は、不思議かつ気味の悪いムードのあまり類を見ぬもので、非凡さを感じさせる。背景世界が謎だらけでかつ予定調和を崩しているので、先が読みにくくスリリングだ。

ただし、終盤にはいるとその不思議ムードも完全に消滅。無残なまでに失速し、観客の多くをあきれさせる内容となる。

正直なところ、ここで松本監督が狙ったものはわからぬでもないのだが、こういうやり方では絶対にダメなのである。なぜダメなのかという理由も、はっきりと指摘することができる。それは、端的にいうとメタミステリ的な仕掛けと世界観のぶち壊しを同時にやってしまったということ。そこが、本作が大失敗した最大の原因だ。

二つのどちらかに絞っていれば、この切り返しはそれなりに演出効果をあげ、私としても高く評価したいところであった。だが、松本監督は欲張りすぎた。その結果、そこまでせっかく作品の中で築いてきたものにケリをつけられず、単に収拾がつかなくなって安直な方向に逃げただけ、という風に誤解される失敗作となってしまったのだ。きっと多くの人々にとってこの映画は、途中まで積み上げた積み木を自ら壊す幼児の遊びにしか見えないことだろう。

その後も、エンドロールの中までダラダラくどくどとあんな風に続けてはまったくもって逆効果。松本監督が仕掛けた衝撃の余韻と効果だって薄れるばかりだ。あれは未練がましく続けるよりスパっと切るべき部分。第一まったく受けてない。

亀有の映画館はいつになく大入りで、きっと松本ファンが多数押しかけたのだと思うが、残念ながら悲しいほどに無反応。とくに終盤以降は、カンヌ同様途中退席者すら複数出る始末。鑑賞した知り合いの編集者等の評価も最悪だ。

正直なところ、それでも本作は私の嫌いなタイプの映画ではないのだが、それでもあの失敗はあまりに痛すぎ、受け入れがたい。今月は傑作が目白押しであり、よほどのことがない限りはすすんでこれを見る理由はないように見受けられる。



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