『バベル』55点(100点満点中)
Babel 2007年4月28日よりスカラ座ほか全国東宝洋画系にてロードショー 2007年/アメリカ/142分/配給:ギャガ・コミュニケーションズ

尻に魅力がない

『バベル』は多くの人々にとって、役所広司や菊地凛子といった日本人キャストが、ブラッド・ピット、ケイト・ブランシェットら当代きってのハリウッドスターと共演するという点がもっとも気になる事だろう。そもそも映画とは、テレビでは味わえない何がしかの楽しみを与えてくれるべきもの。映画とテレビにほぼ同じ顔ぶれの俳優が並ぶわが国の現状をみれば、人々が本作のキャスト表を見て感じるそうしたワクワク感は当然のことと言えよう。

この映画の構成は、3カ国でそれぞれ進行するドラマを交互に描いていく群像劇。メインとなるのは、モロッコへやってきたアメリカ人夫婦(ブラッド・ピット&ケイト・ブランシェット)の物語。ある事情により夫婦仲の危機を迎えたこの二人は、子供をシッターに預けてゆっくり話し合うためここにやってきたが、現地の子供がいたずら半分で撃ったライフルの弾が、偶然妻に当たってしまう。辺鄙な山間部で十分な手当てもままならず、右往左往する夫の姿が描かれる。

一方アメリカでは、予定通り戻ってこないこの夫婦に業を煮やしたシッターが、息子の結婚式に間に合わないため預かった子供を連れて強引に祖国メキシコに戻ってしまう。

そして日本では、口のきけない女子高生(菊地凛子)の孤独と傷ついた日常という、一見無関係そうなドラマが繰り広げられる。ただしこれらの物語の背後は、すべて細い糸でつながっている。

どのストーリーも興味深い。はたしてこれらがどう関連していくのかという興味、そして恐らく仕掛けられているであろう何がしかの罠、テーマを推測しながら見ていくことになるのでまったく退屈はしない。アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ監督の、群像劇をまとめあげる手腕はなかなかのものがある。

日本の物語だけやや孤立しているので、海外の俳優との同じ画面上での共演は実のところそれほど期待できないが、このパートは全体のテーマをもっともよく表している。

そのテーマについては、タイトルから予想できるとおり旧約聖書のバベルの塔のエピソードをモチーフにしているので、比較的わかりやすいだろう。簡単に説明すると、天にも届く塔を作ろうとした人間たちの傲慢に腹を立てた神様が、彼らが意思疎通できなくなるようバラバラな言葉をしゃべらせてこらしめたというものだ。ずいぶん性格の悪い神様のような気もするが、おそらくそれは誤解である。

『バベル』がイマイチ乗れない映画である原因は、このテーマと物語の構成がかみ合っていないことにある。話は面白いしテーマもわかるが、必然として両者が組み合っている気持ちよさがない。よって、見終わってもイマイチ響くものがない。言ってみれば尻切れ気味なのに、その尻に魅力がないのだ。やはりエビちゃんのごとき綺麗な尻を最後に見せていただいてこそ、観客は尻の意味について深く考えるし、また余韻も長く残るものなのである。

注目の菊地凛子については、文句なしの存在感。また、この映画は手持ちカメラのブレが一部激しく、大画面の劇場の最前列は絶対に避けねばならないが、万が一そこで見ていると自分の身長ほどもある彼女のアンダーヘアのドアップに仰天することになるので注意が必要だ。

こうしたヌードばかりが話題の中心にはなっているが(お前が煽っているんだろという反論は禁句である)、本物のろうあの俳優を使いたかった監督を必死に説得しただけあり、彼女の演技は特筆すべきものがある。イケメンの若者にナンパされ嬉しそうにするものの、彼女がろうあ者特有の発音で話し始めたとたん相手がドン引きするのを見て傷つく姿など、こちらまで胸が痛くなる。

名だたるハリウッドスターに囲まれる中で、彼女は群を抜いて印象深い演技をしている。ブラピやケイト・ブランシェットらで作られた生クリームたっぷりのゴージャスなケーキの中で、彼女だけがまるで佃煮で作られた飾りのような異質さを放っている。これを見ると、アカデミー賞の選考基準が"最優秀"との表現といかにかみ合っていないかがよくわかる。

映画自体はそれほど優れたものではないが、このように見所は大変多く、また見る価値のある本作。映画館に出かけていく価値は大いにあるだろう。

アモーレス・ペロス
監督はこんな映画を作っています。代表作。
1000ピース バベルの塔(ピーテル・ブリューゲル)<世界最小ジグソー>
バベルの塔ってこんなイメージです。実在したとかしないとか。


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