『リンガー! 替え玉★選手権』85点(100点満点中)
The Ringer 2007年4月21日より、シアターN渋谷にて過激にロードショー! 2005年/アメリカ/95分/配給:20世紀フォックス映画

明るい障がい者映画

『リンガー! 替え玉★選手権』は、五輪に合わせて開催される、知的障がい者たちによるスポーツの祭典「スペシャルオリンピックス」を題材にした映画だ。

……といっても、いま皆さんが想像したものと本作は、恐らく大幅に異なるであろう。この映画は、一歩間違えばおそろしく不謹慎で失礼千万な、危険極まりないタブーすれすれを突っ走る作品である。

主人公の好青年(ジョニー・ノックスヴィル)は、自分の責任で友人が大怪我をしてしまい、莫大な治療費を何とか工面したいと思っている。そこで叔父に相談するが、ギャンブルで借金まみれのどうしようもないダメ男なので頼りにならない。それどころか、「スペシャルオリンピックスに障がい者のふりをしてお前が出ろ」などと無茶を言う。現チャンピオンは6連覇中で無敵ぶりを発揮しており、負けに賭ければ大もうけできるというのだ。

紆余曲折を経て、主人公は叔父に強引に押し切られてしまう。かくして「知的障がい者のふりをして大会に出場する」という、不届千万な物語が始まるわけだ。

主人公は学生時代、陸上と演劇をやっていたという設定。よもや障がい者に負けるなどとは思ってもいない。そして、かなり大げさな演技により見事に施設のスタッフさえもだましてしまう。あとは障がい者仲間を騙しきれば……と、そうそううまく進むわけはない。ここから先は映画館で。

コメディとしての笑いどころは、健常者である主人公がいやいやながらも障がい者を演じるときの、あまりのギャップの激しさ。およびそのオーバーな演技そのもの。そして、普通なら到底お近づきになれそうもない美人のヒロイン(五輪ボランティアの女性)と、障がい者という立場になったとたん急激に仲良くなれてしまうという一種の逆転現象だ。

いずれにせよ、障害に苦しんでいる人々を笑いものにするとは何たることか。まったくもって許せない。

──と憤るまえにこの映画、プロデューサーを務めるボビー&ピーターのファレリー兄弟の名前に注目してみてほしい。かつて彼らは自分の作品を見た障がい者の友人から、「なぜ映画には僕らみたいな登場人物が出てこないんだい」と問われ、それ以来自作に積極的にそうした人々を登場させてきた。決してタブーとして避けることなく、メインテーマとして美化することもしない。優遇もしなければ差別もしないという立場で扱ってきた。

そんな彼らのバランス感覚たるやかなりのもので、数々のギャグは過激に見えるが、決して最後の一線を超えることはない。そこを超えたら障がい者の観客たちが本当に傷つき、健常者の観客も引いてしまう、そういうラインは確実に守っている。空気を読める人たちなのである。だからこそ、彼らの作品はアメリカの障がい者からも広く支持を得ている。

『リンガー! 替え玉★選手権』も、全編から障がい者の人々への愛情、優しさを感じられる。だからこそ、彼らをネタにした笑いも安心して笑うことができる。特別待遇はせず、笑いのネタにまでして初めて見えてくる非差別の重要さというものもある。

また、構成の奥深さもなかなかのものだ。たとえば先ほど触れたヒロインの存在意義だが、これは決して恋愛要素を無理やり入れ込んだというわけではない。

まず主人公は彼女のことが好きだが、自分を障がい者と思っている彼女と関係を続けるには嘘をつき続けなくてはならない。彼女には別に恋人がいるが、実はその彼氏は別の美人と浮気をしている。主人公はその彼氏に腹を立てるが、実のところ二人は彼女を騙しているという点でまったく同一である。彼氏を非難することは自分の否定につながる。この矛盾と葛藤に苦しむ事で、ドラマに奥行きが出ているわけだ。なにしろ、ただでさえ主人公はニセ障がい者としてオリンピックで勝ち続けることに苦しんでいるのだから。

そんなわけで、画面に色を添えてくれるこのヒロインのもうひとつの効用のおかげでこの映画、ただの冗長なギャグ映画から脱却することができている。

オリンピックの最終結果の落としどころもうまい。後日談はかなり無理やりで、ちょいと障がい者たちに気を使いすぎという印象があるが、許せる範囲だろう。じつに鑑賞後感の良い、おすすめの一本だ。



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