『ハッピー フィート』70点(100点満点中)
Happy Feet 2007年3月17日、全国松竹・東急系にて超拡大ロードショー 2006年/アメリカ/109分/配給:ワーナーブラザース
とてつもなく不気味な要素を隠し持つ
最近のアメリカ製長編アニメ映画の多くは、正直なところどれも同じでまったく面白くない。
決まって動物が主人公で、似たような性格設定の擬人的キャラクターが似たような冒険をする。CGの出来の良さだけが自慢という、どうしようもないアイデアの貧困さに、私はウンザリしている。このままでは倖田來未の二番煎じから脱却できぬ後藤真希同様、ピクサー以外は没落の一途をたどるに違いあるまい。
ところがそんな中、この『ハッピーフィート』はほんのわずかだが独自色を打ち出すことに成功した。それが何かは後述する。
舞台は南極、主人公は皇帝ペンギンのマンブル(声:イライジャ・ウッド)。彼らの国でいちばん大事なのは歌うこと。とくに、自分だけの"心の歌"をみつけ、最愛の相手に思いを伝えることがなにより大切とされていた。ところがマンブルときたら、両親のノーマジーン(声:ニコール・キッドマン)とメンフィス(声:ヒュー・ジャックマン)はすばらしい歌い手なのに、超がつくほどの音痴だった。
しかしマンブルは、歌えない代わりに踊ることができた。が、皇帝ペンギン界ではダンスなど誰も知らず、その華麗なステップは何の価値もない。彼は幼馴染の美少女グローリア(声:ブリタニー・マーフィ)に思いを告げることもできず、やがて傷心の旅に出た。
本作はピクサーの『カーズ』を抑え、アカデミー長編アニメ賞を受賞した。アカデミー賞が必ずしも一番優れた作品、演技に与えられるわけではないことは常識だが、それでも『ハッピー フィート』に高く評価されるだけの要素があるのは事実。
そしてそれは、豪華声優陣によるたくさんの歌や、過去最高クラスの体毛表現を実現したCGの出来栄えなど、一般に言われるこの映画の見所についてでは決してない。
歌ってばかりの前半は、ほとんどインド映画状態ですぐに飽きるし、評判のCGにしても、南極というアニメで表現するにはあまりに殺風景な舞台をカバーするため、やたらとカメラが動き回って変化をつけているが、はっきり言って他のCGアニメと大差はない。
それよりこのアニメ映画の一番驚くべき点は、終盤、マンブルが追放されて以後のストーリー展開にある。
それまで、お子ちゃま向けの予定調和の中で眠くなりつつあった観客に、アイロニカルな主張をガツンとぶつけるこの流れ。これがフランス映画ならともかく、ハリウッドの量産品のごときアニメの中で見られたことには驚いた。しかも、ここではアメリカのCGアニメ映画至上はじめて、彼らが目指してきた(マンガではなく)実写志向の技術向上に必然性というものが与えられている。
その後、結局のところはいつものアメリカンご都合主義に戻ってしまうのが残念だが、それでもありがちな子供アニメが一瞬消えるこの流れの意外性にはびっくりした。いや、むしろアメリカアニメの無邪気さの中でやったからこそ、とてつもない不気味感を観客の中に残す効果があったというべきか。
いずれにせよ、私がこの映画を評価するのはこの一点につきる。その他は文字通りその他大勢に埋もれる程度のもので、まかり間違っても『カーズ』より上ということはない。しかし、その一点があるだけでも大したものだ。子供の観客にとってはどうでもいい事かもしれないが、大人が見る際にこの違いは大きい。