『それでもボクはやってない』98点(100点満点中)
2007年/日本/カラー/2時間33分/配給:東宝

すべての男が見るべき大傑作

2006年の総評でもちらと触れたが、昨年私が見た数百本の映画の中で、もっとも面白かった映画がこれである。痴漢冤罪という、誰にでも実感できる切り口で日本の刑事裁判の抱える問題点を描いた社会派映画。しかしながら堅苦しさはゼロで、娯楽度満点。先が気になる度がきわめて高いストーリーと、へぇ連発のディテール。どこをとっても完璧に限りなく近い、まさしく年度を代表する傑作といえる。

主人公のさえないフリーター(加瀬亮)は、満員電車から降りたとたん女子中学生に手首をつかまれた。駅員室に連れて行かれた彼は、覚えのない痴漢を頑強に否定。すると警察がやってきて留置され、そのまま裁判を闘うことになるのだった。

この映画の上映時間は147分。一見長大に思えるが体感時間はその半分程度、まさに尿意を忘れる一本だ。『Shall We ダンス?』(96年、日)以来の新作となる周防正行監督は、これを作るのに2年間に及ぶ徹底取材を行ったという。ぎっしりと雑学および強い問題提起がつまった2時間半からは、その意欲と成果を十二分に感じられる。とくに、(元ねたとなった本はあるが)明確な原作ものでない映画で、ここまで細部を詳細に描いた作品は近年見たことがない。

主人公に降りかかる災難は男なら誰にでも起こりうること。そしてその後に彼が取る幾多の行動も、誰もがそうするであろう、大いに共感できるものばかり。いくら日本の裁判に問題があるとはいえ、やってもいない事で罰を受けるわけがないと考えるのも自然だ。

しかし、そうした一般人の考えがいかに甘いものか、映画はのっけから見事に打ち砕いてくれる。痴漢を認めた別の男が数時間で釈放され、否定した主人公は何十日も警察に締め上げ続けられる。そして、社会的に抹殺されるのは後者。面会した当番弁護士が、やってもいない罪を認めたほうが得と語るとき、主人公と観客は大きなショックを受ける。

このように、ただ漠然と「痴漢冤罪は怖い」と考えている多くの人に対し、徹底して調べ上げたリアリティの積み上げによって、監督は強い衝撃を与え続ける。

しかし、当初は孤立していた彼にも、やがて味方が現れる。同じ冤罪被害者とそれを支える市民団体、そして役所広司演じるベテラン弁護士。無罪を信じて戦う母親のもたいまさこらも素晴らしい演技を見せる。親友や鈴木蘭々演じる元カノも、一丸となって裁判に挑む。このあたりの盛り上がりは、内外のあらゆる裁判劇を凌駕するといっても過言ではない。

この映画の美点は、監督の、日本の刑事裁判に対する(恐らく)激しい怒りが込められているにもかかわらず、悲壮感にとらわれず、悲観的にもなることなく、ユーモアたっぷりに描いていることだ。リベラル派の人たちは、こと体制批判となると妙に皮肉っぽくなったり、肩の力が入りすぎたりしがちであるが、この監督はそのあたりのバランス感覚に優れている。

私は常日頃から、日本のメジャー映画業界はもっと製作本数を減らし、一本あたりのクォリティをあげるべきと言っているが、かように優れた作品をみるとその思いをより強くする。周防監督のごときセンスある才能に、十分な製作期間(取材と構想、脚本を練る期間)と予算を与えると、これほどのものが出来上がる。

いまは、邦画バブルといわれるほど活況の日本映画界ではあるが、この好景気による貯金を食いつぶすことなく次世代につなげるために、『それでもボクはやってない』の出来の良さは大きなヒントになるはずだ。

『それでもボクはやってない』は、超映画批評を立ち上げた当初から願ってやまなかった「こういう日本映画が見たい」という私の気持ちを、具現化してくれたような一本だ。唯一のマイナス点については、重大なネタバレにかかわるためここで書くわけにはいかないが、見終わった瞬間に多くの人が感じるのではと思う。しかし、それでもこの作品が必見であることに疑問の余地はない。



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