『甲野善紀身体操作術』40点(100点満点中)
2006年12月23日よりUPLINK Xにてロードショー 2006年/日本/カラー/90分/配給:アップリンク

このドキュメンタリーだけではまだまだ説明不足

甲野善紀という人物について、知らない人のために説明しよう。この人は日本の古武術を独学で研究するストイックな武術家だが、その真髄、奥義を現代の日常生活や介護の場に応用するという、ユニーク試みをすることで知られている。

一例をあげると、介護人泣かせの重い患者へ寝返りを打たせたり抱き起こしたりといった動き。これを甲野善紀は、いとも簡単にひょいとやってのける。患者の重心を意図的にずらすことで、スムースに体を移動させてしまう。

もちろん彼は、私のように体重が100kgもあるとか、パワーリフターであるとか、そういう特殊な体型ではまったくない。むしろ、身体の協調性を崩すとの理由でウェイトトレーニングを否定する立場であり、彼自身、平均程度の身長にかなりの細身という、どこから見ても力があるようには見えないタイプだ。

しかも、年齢も50代と決して若くない。そんな甲野氏が、後に私が直接聞いたところによれば125kgもの大男を、息も切らせずに抱き起こしてしまう。いったいなぜそんな事ができるのか。

彼が実践するその体の使い方こそが、現代人が忘れてしまった人間本来の動物的な動き、古武術にその片鱗が残されている、古の本能である。それを彼は、「身体操作術」と呼び、独自に体系づけているわけだ。

その技の数々を余すところなくカメラに収めたドキュメンタリーがこの『甲野善紀身体操作術』。先ほどいった抱き起こしや、いすに座った人間をいとも簡単に持ち上げてしまう離れ業、独学とは到底思えぬ激速の刀さばきや、不思議な歩行法をじっくりと確認できる。

ドキュメンタリー映画としてはかなりつたない出来で、何よりこの、「一度見ただけじゃわけがわからない」手品のような技の数々を、観客にわかりやすく理解させようという意識が作り手に見られない。おそらく監督も、なぜ甲野善紀があんなか細い体から信じがたいパワーやスピードを繰り出すのか、理解出来なかったのだろう。結果、講演会における実演の様子、たとえばラグビー選手らを軽々と片手で転がすシーンなどを、淡々と収めるにとどまったというわけだ。

実際、甲野氏の「自分が浮くように持ち上げる」だの「パッパッとこうやれば、ホラ!できた」などといった長嶋式の自己解説は、身体操作術を理解する上で何の役にも立たない。私でさえ、映画を見た時点では(技の凄さはともかく)原理についてはイマイチよくわからなかった。むしろ、トンデモ系のうさんくささを嗅ぎ取ったほどだ。

しかし、後日実際に彼の道場に行き、直接取材し、技もかけてもらうことでようやく仕組みがわかってきた。甲野善紀の技は、彼自身も気づいていないようだが、決して特殊な理論によるものではなく、非常に科学的、物理的に理にかなったものであった。

たとえば重いものを持ち上げるときのテクニック(実際にかばんを軽く持つ方法や、うで一本で人間を持ち上げる方法など、目の前で実践してもらった。持ち上げられた女性編集者がたいそう驚いていたのが印象的)などは、我々ボディビルダーに昔から口伝で伝わる「効かせるテク」そのものだったりする。なぜそうやると、ビックリするような重いものが持ち上がるのか、それはボディビルダーやパワーリフターなら誰もが明快に、科学的に説明できる。私は彼の技を見て、同じ技に彼がまったく別方向からたどり着いた事に深く感動した。さらに、自分のやっているスポーツに生かせるいくつものヒントをいただく事もでき、内心感謝感激であった。

身体操作術は、重いものを楽に持ち上げるというばかりではなく、長距離を楽に走る、今より速くボールを投げられるなど、およそ体を動かすことならあらゆることに応用が利く。現に彼に指導を受けた巨人の桑田投手などは、翌年に最優秀防御率のタイトルを取っている。スポーツ界に信奉者が多いというのもさもありなんだ。口べたな方だから指導者には向かないタイプと見受けられたが、動きを盗み、自分で理論を当てはめられる選手であれば、彼から得るものは大きいだろう。

このドキュメンタリーは、私がそんな甲野善紀氏から直接指導を受けて感じたのと同じくらいの感動を観客が得られるよう、もっと工夫して作ったらよかったと思う。その点ではまだまだで、これでは甲野善紀の講演を安く手軽に見られる以上のものがない。面白いものを持っている人だけに、これではちょっともったいない。



連絡は前田有一(webmaster@maeda-y.com 映画批評家)まで
©2003 by Yuichi Maeda. All rights reserved.