『スキャナー・ダークリー』30点(100点満点中)
「A Scanner Darkly」2006年/アメリカ/カラー/100分/配給:ワーナー・ブラザース 2006年12月9日、シネセゾン渋谷他にてロードショー

麻薬の怖さを実写以上にリアルに伝えてくる

同週公開の『オープン・シーズン』のところで、「米国のアニメ映画にはファミリー向きが多い」と書いておいて恐縮だが、同じアニメ映画の『スキャナー・ダークリー』は、まったくその範疇には入らない。これは、一応アニメーションの部類ではあるものの、見た目も内容も相当な異色作だ。

7年後の未来。アメリカには、物質Dなる強力なドラッグが蔓延していた。徹底した盗聴・監視技術で犯罪を防ぐこの時代においても、最大の難関であるこのドラッグの生産拠点をつかむべく、当局は捜査官ボブ・アークター(キアヌ・リーヴス)にある密売人の監視を命じた。ところがその監視対象とは、覆面捜査官であるアークター本人であった。自分で自分を監視するうち、彼の脳は麻薬に犯されはじめ、やがて自分が誰なのかも不明瞭になり、現実と非現実が交じり合う末期的症状を呈し始める。

原作は悲観主義的な作品を多作したことで知られる、アメリカの偉大なSF作家フィリップ・K・ディック。『ブレードランナー』や『トータル・リコール』、最近では『ペイチェック』等の大作映画の原作として、変わらぬ人気を誇る。

中でもこの映画の原作小説は、彼自身の悲惨な体験を投影した、すこぶる悲観的と評される作品。具体的には、主人公が自宅を溜まり場にしていた監視対象のジャンキーたちと共に、麻薬の副作用で壊れていくあたりに作者の実体験が生かされている。

実際にフィリップ・K・ディックもそうした麻薬仲間たちの惨憺たる末路を見ている。だから本作もドラッグの被害に関しては、容赦の無い描写がなされている。SFジャンルの中で、麻薬の恐ろしさを大いに実感させる、現実的でテーマ性の強い作品といえる。

さて、映画版のほうはSF要素についての説明が不足気味で、かつそれらの要素が複合的に絡み合っていくもので、相当意味をつかみにくいストーリーとなっている。何の予備知識も無く見たら、多くの方は100分間を、うとうとと電気羊の夢でも見ながら過ごすことになるはずだ。

そうならないためにも、事前にある程度の筋書きは押さえておいたほうがいい。特に大切なのが、主人公は通常の捜査官任務の時には、姿を完全に隠せる"スクランブル・スーツ"を着ているため、直属の上司ですら本当の自分の姿は知らないということ。(だから、潜入操作中の自分自身を監視するなどという、むちゃくちゃな任務を仰せつかるハメになる)

そして、登場する麻薬"物質D"には、主に脳の識別能力を壊す副作用があり、常用するとやがて、自分自身をすら認識できなくなるということ。この幻覚シーンはまず冒頭にあり、虫にたかられる男の描写は観客を仰天させる。要注目の場面だ。

主人公は、潜入捜査官でもあるから、物質Dを常用しながら組織の内部へ切り込もうとしているが、バカな任務のせいもあって、徐々に自分を見失う。その行く末にはとてつもない結末が待っている、というわけだ。

このメインストーリーは、しかし把握しずらいもので、多くの方は途中の膨大なジャンキーどものイカレタ会話に目を奪われ、それこそ擬似トリップ状態になるかもしれない。そういう意味ではこの映画、カルト的な人気を得そうにも思える。

なお、観客をあちこち振り回すといえば、本作は映像それ自体が恐るべきインパクトを持った、特殊なアニメーション。はじめてみる人は、それこそビックリして、しばらくは画面のどこを見ていいかわからないプチパニックにすらなるだろう。

この、まるで実写のような不思議な映像はロトスコープという、実写フィルムを忠実に絵で上書きする手法で作られている。この監督は2001年に一度、実験的にこの技術を使った映画を撮っており、今回の技術はそのフルモデルチェンジ版というわけだ。コンピュータの処理能力が飛躍的に高まったとはいえ、1分間の映像を作るのに30人がかりで500時間もかかるという、ハリウッド以外ではとても不可能な高コスト映像だ。

ちなみに、キアヌ・リーブスやウィノナ・ライダーが元となる実写ドラマを撮影したのはもう2年以上も前。撮影後のアニメ化作業に、19ヶ月もかかったというのだからとんでもない。

画面の隅々まで毎秒姿を変えるこのアニメ映像は、なまじ実写に近いものだからじつに落ち着かない。麻薬の幻覚をリアルに描かねばならないこの原作には、ピッタリの手法だったかもしれない。

映画は全体的に暗いムードで、淡々としている。話は遅々として進まず、この独特の雰囲気を楽しめない人にはとてつもなく退屈。ユーモアも不発で、エンタテイメント性も薄い。売り物である結末の驚きも、さほどではないように思える。

技術の凄さは大いに感じるし、このムードは常人では作り上げられないであろう事も想像がつくが、やはりこれはごくごく一部のマニアックな層にのみ受け入れられるタイプの映画。他の評論を見るに、フィリップ・K・ディックの原作世界を相当忠実に表現しているようだから、その熱狂的な支持者は期待してよさそうだ。

逆に、私を含め未読の者にとっては、恐ろしく間口の狭い作品で、さすがにこれは積極的にはすすめられない。



連絡は前田有一(webmaster@maeda-y.com 映画批評家)まで
©2003 by Yuichi Maeda. All rights reserved.