『暗いところで待ち合わせ』75点(100点満点中)
田中麗奈の演技力と魅力によって傑作となった
一人暮らしする盲目の女性の家に、犯罪者が侵入して一方的な同居生活をはじめる。そんな斬新で実感の伴う魅力的な設定を持つミステリの映画化。原作の乙一は17歳という若さでデビューした人気作家で、この原作も彼が23歳のころに出したものだ。
ヒロインは事故で視力を失った若い女性ミチル(田中麗奈)。やがて最愛の父(岸部一徳)も死に、住み慣れた一軒家で一人暮らしをすることになる。そんなある日、家のすぐ前の駅のホームで、男が突き落とされ死亡する事件がおきる。そしてその直後、警察から追われる在日中国人のアキヒロ(チェン・ボーリン)がミチルの家に忍び込み、彼女の知らぬままその部屋の片隅に息を潜めて座り込むのだった。
盲目のヒロインが知らぬうちに、殺人事件の容疑者と同居するという奇妙な物語だ。侵入者はしかし彼女の暮らしを乱すことはせず、もちろん危害も加えない。ただ身を潜め、殺人現場の線路を毎日見つめるのみだ。
アキヒロがやがて、ミチルを見守る存在になっていく過程が面白い。まだ光を失って間もない彼女のあぶなっかしい暮らしぶりを、冷や冷やしながらアキヒロは見ている。実はこの二人、アキヒロは職場でいじめをうける事で、ミチルは光ある世界と断絶される事で、ともに「一人ぼっち」という共通点を持っている。
視力を失って以来外部との交流を断ち、引きこもるミチル。そんな孤独な彼女の姿に自分と同じものを見て、心の中で応援するアキヒロ。やがて二人がそれぞれ成長を遂げる展開は、心を奥底から暖かくしてくれる感動的なものだ。原作の魅力はおおむね表現できているが、二人が食卓に座るまでの過程の描き方と、ラストの処理をうまくすれば、なお完璧であった。
何より絶賛したいのが田中麗奈で、これはもう原作で描かれるミチルそのものだ。盲目者としての演技はもちろん、その穏やかな性格、視力がない分純粋に人間の中身をみつめ、受け入れる優しい心を完璧に表現している。髪型や薄めのメークなど、見た目もしっかりと役作りしており、プロ意識を感じさせる。観客は彼女のおかげで、このヒロインに強く感情移入することができる。田中麗奈にとって本作の演技は過去最高であり、作品の出来の良さも考慮すれば、間違いなく代表作と呼ばれる事になろう。
相手役のチェン・ボーリンも、ムードあるいい役者で文句はない。ただ、この部分はやはり原作の設定どおり、日本人のいじめられっ子でいったほうがよかった。いまどき外国人ハーフというだけでイジメられるというのは考えにくい。となると結局、彼の性格をややゆがんだものに設定するほかはなく、この物語の重要ポイントである「アキヒロへの共感」が観客に起こりにくくなってしまう。また、重要な場面でカタコトの日本語が出てくるのも違和感がある。
じんときたのは、別れた父の葬儀に来ながら娘に合わせる顔がなく、そのまま帰ろうとする母親に田中麗奈が叫ぶシーン。彼女が"見た"母親は、喪服ではなく思い出の中の白い服を着ている。交互にそれが写されるこの場面の演出は、田中麗奈の真に迫る演技力のおかげもあって強烈な感動を呼ぶ。
本作は、日本映画としてはかなり上質の部類に入る。ストーリーの面白さと語り口のテンポの良さも、乙一の特徴をそのまま受け継いでいる。孤独な二人の心温まる交流劇。オススメだ。