『父親たちの星条旗』70点(100点満点中)
イーストウッドらしい、静かでセンスのいい戦争映画
日米が戦ったあの戦争の中で、もっとも重要かつ激戦だった戦場のひとつに、硫黄島の戦いがある。第二次大戦を通して、米軍側の勲章のほとんどがこの戦闘の功労者に与えられたことからもわかるとおり、硫黄島は両国にとって重要な戦略拠点であった。
映画の中でも説明されているが、簡単にいうと日本にとっての硫黄島は、本土爆撃に向かう米軍側長距離爆撃機に対する警戒基地の役割を果たしていた。このおかげで日本軍は、本土で十分な迎撃・避難体制をとることができていたのだ。ところが硫黄島が落ちてからは、この場所が米軍の重要な補給、そして爆撃機を護衛する戦闘機の基地となり、日本本土はみるみる焼け野原と化していった。
この戦いを、二部作として描くことを決めたのが、いまや米国を代表する巨匠クリント・イーストウッド(「ミリオンダラー・ベイビー」「ミスティック・リバー」など)。この第1弾は米軍側からの視点、12月に公開される第2弾『硫黄島からの手紙』は、日本側の視点から描かれる。
太平洋戦争末期、日本軍の予想以上の抵抗により、米国民には厭戦感が広がりつつあった。しかし硫黄島の最高地、擂鉢山の頂上に星条旗をつきたてる米兵たちを写した一枚の写真は、一気に戦勝気分を盛り上げるものだった。米国政府は写真に写った兵士のうち、生き残っている三名を帰国させ、彼らに戦費調達のための戦時国債販促キャンペーンの広告塔の役目を負わす事にした。
ここでいう一枚の写真とは、AP通信のジョー・ローゼンタールが撮影した有名な一枚のこと。数名の米海兵隊員が、全員で星条旗を地面につきたてようとしている、あの有名な構図のヤツだ。
ところがこの美談には裏がある。実はこの写真に写った星条旗は1本目ではなかったのだ。つまり硫黄島の難所、擂鉢山を死ぬ思いで実際に攻略して、最初の旗を立てたメンバーと、帰国して英雄扱いされた3名とは、微妙に異なっていたのだ。これは、一種のやらせのようなものだった。
この主人公の三人は、戦場で地獄を見、帰国してからも別の意味で地獄を見た。イーストウッドはそれを際立たせるため、硫黄島の戦いの場面を映画史上に残る、超ド級のリアル映像で描写しているが(艦砲射撃の場面は胃に響くような大迫力だし、銃撃戦では手足が吹っ飛ぶ等の残酷描写も避けていない)、映画を最後まで見ると、本当に残酷な連中は日本軍ではなく、米国にこそいたのではないか、と感じるようにできている。
イーストウッドによる、この米国批判はなかなか辛らつで、「米軍は兵士を見捨てない」という一種の幻想、タブーさえいとも簡単に否定して観る者にショックを与える。
日本軍については一切の描写がなく、顔のない存在としてスクリーンの背後に存在するだけだ。あたりまえの話だが、戦争にはそれぞれの立場があり、それぞれに正義がある。だからひとつの戦争を平等に描くには、敵味方各々の視点、すなわち2本の映画が必要だというわけか。
イーストウッド監督の、戦争というものに対するそうした冷静な態度は、本作が訴える反戦のメッセージを、観るものの思想にかかわらず素直に受けとめたくなる気分にさせる。戦争や軍隊を愚か者として描き、感情的な戦争反対しか言えぬ一部の反戦映画には、この作品のスマートな態度を大いに見習ってもらいたい。
『父親たちの星条旗』は見ごたえのある戦争映画で、私は第2弾の『硫黄島からの手紙』が楽しみになった。もちろん、これ1本だけでも十分に楽しめる作品になっている。悲壮な戦いを描く映画ではあるが、そこはさすがイーストウッド。過度な悲観も楽観も、お涙頂戴もプロパガンダ臭さも感じさせぬ、センスいい大人の作品として綺麗にまとめた。とかく感情が入りがちな戦争映画において、こうしたクールな雰囲気の作品は珍しい。