『アタゴオルは猫の森』30点(100点満点中)
3D-CGにする必要があったのか
ますむらひろしの漫画、アタゴオルシリーズは、30年間に渡って日本漫画界の誇るファンタジーものとして、人気を博してきた。ヨネザアド大陸にあるアタゴオルという架空の地で、猫と人間が当然のように会話し、生きている独特の世界観と絵柄が魅力で、それらはアニメ映画『銀河鉄道の夜』(85年、杉井ギサブロー監督)にも生かされている。今回の映画版『アタゴオルは猫の森』は、シリーズの外伝「ギルドマ」をベースにしたもので、全編3D-CGで作られている。
花と緑に囲まれたアタゴオルで、年に一度のお祭りが行われている。いつものように暴走した自由奔放なデブ猫のヒデヨシ(声:山寺宏一)は、よせばいいのに禁断の箱を開け、植物女王ピレア(声:夏木マリ)の封印を解いてしまう。強力な魔法で周りの生物を次々と植物に変えていくピレア。そのころ、彼女を唯一封印できる植物王も生まれたが、王は力強く成長するため、ひとりだけ父親を選ばねばならない。ところが、偶然選ばれたのは、よりにもよってヒデヨシだった。
自由を愛し、究極のポジティブ思考(……というより、食欲中心思考?!)を持つヒデヨシ。このデブ猫は、平気で盗み食いだってするし、つまらん倫理、常識など屁とも思わぬマイペース主義。憎たらしいが憎めない、そんな純粋な心をもつキャラクターだ。彼を中心に、その正反対の理性的存在、人間のテンプラ(声:内田朝陽)やツキミ姫(声:平山あや)、そしてクールなギルバルス(声:田辺誠一)といった、ファンには馴染み深いキャラクターが活躍する。
原作本を読んだことのない人がこの映画を見た場合、こうしたキャラクターの魅力を愛せないと、どうにも厳しい一本になりそうだ。何しろストーリーが弱いし、挿入されるミュージカルシーンも、ダラダラとして切れ味が悪い。説明過剰かつ、繰り返しが多用されるセリフも、子供向け演出の典型例で、一般的な大人が見ていると眠気を誘われる。
また、なにより肝心の3DCGの質が低い。ピクサーをはじめとする本場米国の長編アニメーション映画とは、あらゆる点で規模が違うため、もともと比べるべくもないが、そもそも演出側が3Dの特性に慣れていないのではないかと思わせる点が多々目に付いた。
それはまさに、先述のミュージカルシーンにもっともよく現れているわけだが、絵柄やエフェクト頼りの見せ場作りの手法は、素人が見てもすぐに飽きてしまうに違いない。ストーリーにメリハリがないから、ミュージカルに頼るしかないわりに、その演出がイマイチとなるとこれは厳しい。もともとCGの質は一世代前のレベルなのだから、その他の部分で健闘しないと、他の類似品とは勝負になるまい。しかし、こうしてみると、この作品をいま、不完全な3Dアニメで作る必要があったのかどうか、私は疑問に思ってしまう。
この荒削りなCGの絵のせいで、世界観に奥行きも感じにくく、せっかくの原作の強みが生かしきれていない印象。それでもキャラクターに力があるため、何とか持っているが(ヒデヨシとヒデコの別れの場面の感情表現など、なかなか感動的)、もっともっとよく出来たはず、と感じさせる。