『涙そうそう』55点(100点満点中)

無理してお涙頂戴にしたことが問題

夏川りみが歌う同名曲は、森山良子が亡き兄を思って書いた詞と、BIGINによる感動的な旋律で、ロングセラーとなっている名曲。この人気に目をつけたTBSが、同じコンセプトでテレビドラマと映画を作った、その映画のほうがこれ。監督の体調不良による交代などで完成が遅れたが、『いま、会いにゆきます』で切れ味鋭いどんでん返しを見せた土井裕泰監督がなんとか引き継ぎ、無事公開にこぎつけた。

いつか自分の食堂を開くという夢に向かい、沖縄本島でがんばる兄(妻夫木聡)のもとに、新高校生となった妹(長澤まさみ)が引っ越してきた。久々の再会で、すっかり大人びた妹に驚いた兄だが、それでも相変わらず仲良しの二人は一緒に暮らし始める。やがて、偶然知り合った男の協力でついに念願の店を出すことにした兄は、しかしその男に騙され、長年貯めた開業資金を持ち逃げされてしまう。

さて、この二人は早くに両親と別れ、支えあって生きてきた唯一と言ってもよい家族。実は血がつながっていないのだが、兄は妹を本当の家族として扱い、すべてを捧げて彼女の将来を守ろうとしている。血がつながっていないのに、普通の家族よりはるかに強い絆。この家族愛が感動を呼ぶ。

妻夫木くんは、持ち前のさわやかな笑顔で、この誠実きわまりない、人がよすぎる「にーにー」を演じる。妹役の長澤まさみはもちろんこの作品でも若手ナンバーワンのオーラ全開だが、それだけに今回は彼の存在感に舌を巻いた。いい役者だ。

だいたい、血のつながってない長澤"妹"まさみが自分の部屋にやってきたら、どう考えても不健全な方向にストーリーが行ってしまいそうだ。少なくとも、私が兄ィニィならそうなる。ところが妻夫木くんは、そんな私のようなバカな観客がチラと期待するお下劣な想像など毛ほども見せず、この作品を健全な感動ドラマとして成立させている。その説得力は、すべて彼の堅実な役作りの賜物である。

さて、次に長澤まさみであるが、いやそれにしてもなんだか最近彼女の事ばかり書いているような気がするが、相変わらずいい女優だ。文句は何もない。

だがしかし、東宝さんはあまり彼女を過保護にしすぎないほうがよろしい。今のような守備範囲の狭い役柄ばかりやらせていては、観客の間に「長澤の出る映画はどうせつまらない」という認識が生まれ、結局彼女のためにならない。かわいい子には旅をさせよ。長澤が最高に輝いている今だからこそ、観客の度肝を抜くような役柄に挑戦させたほうがいい。清純派女優が客を呼べる時代など、とっくに終わった。そして二度とこない。

さて、先ほどちらと触れた「長澤の出る映画はどうせつまらない」というのは、残念ながら徐々に既成事実化しつつある。この『涙そうそう』もその例に漏れず、あまりに無難な内容で、面白みに欠ける。

それでも、他の沖縄映画同様、美しい自然と人情を邦画らしい静かな間で淡々と描いていれば、それなりにまだ存在意義があった。しかし『涙そうそう』は、そのタイトルどおり「お涙頂戴」がメインコンセプトの映画。淡々とした日常を描くだけでは泣かせられないと判断したか、終盤急激に内容が韓流化してしまい、陳腐な安物ドラマとなってしまう。

こんな単純な手法では、お客さんだって唐突感ばかりを感じ、到底感動などはえられまい。無理に筋書きをドラマチックにしなくとも、人間の心を感動させることはできるというのに。

おそらくこの映画、悲しいかなTBSの開局50周年プロジェクトということで、完成度を高めることよりも、完成自体を締め切りに間に合わせることに重点がおかれてしまったのではないか。そういう意味では、最初に予定されていた福澤克雄監督が降板したことによる製作の遅れは、致命的だったかもしれない。



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