『紙屋悦子の青春』80点(100点満点中)
黒木和雄監督の遺作は、素晴らしい"日本映画"だった
『美しい夏キリシマ』『父と暮せば』といった映画で平和と反戦を訴えてきた、黒木和雄監督の遺作。劇作家の松田正隆が、自らの母親の体験談を元にした戯曲が原作となっている。
昭和20年の鹿児島。両親を亡くした紙屋悦子(原田知世)は、兄夫婦とつつましく暮らしていた。彼女は、兄の後輩である海軍航空隊の明石少尉(松岡俊介)に想いを寄せていたが、よりにもよってその親友、永与少尉(永瀬正敏)との縁談が持ち上がる。
快活な性格の明石は、悦子を大切に思っている。彼とは反対に、女性の前では何も話せなくなるウブでオクテな永与も、心やさしい悦子へ好意を寄せている。悦子は明石に想いを寄せながらも、そんな永与を人間的に好いている。
3人の思いは、それぞれとても美しいもので、見ていて心洗われる思いである。戦時下のつつましい暮らしの中、おはぎを作って二人をもてなす悦子の姿、そんな悦子に対し、節度ある紳士的な態度で振舞う男たち。この世知辛い世の中、こういうお芝居をみているだけで、気分がよくなるというものだ。
さて、なぜ明石は、悦子と自分の親友をくっつけようとしたのだろうか。実は、彼は近く特攻隊として出撃する事が決まっていたので、大事な悦子を親友に託したのだ。人が人を信頼することの美しさ、尊さを、この淡々とした物語は教えてくれる。
基本的にセット撮影で、画面は常にやわらかい光に包まれている。この光がとても綺麗で、その分登場人物たちの巻き込まれた悲劇が際立つ。
ひとつのシークエンスは長く、長まわしの演出も随所で使われる。こうした映画の場合、役者たちの芝居の質が問われるのだが、その点もまったく危なげなし。主要な3名はもちろん、脇を固める義姉役の本上まなみや小林薫など、みな味わい深い演技を見せてくれる。
淡々としていると書いたが決して退屈ではない。コミカルなシーンも数多く、心地よい笑いに満ちた作品でもある。
私はこれを、監督が亡くなった二日後に観たが、これだけの良作で、狭い試写場内が満員になっていなかったのは、なんとも寂しい光景であった。しかし、その場内では何度も笑いが起き、そして年配の方など、涙ぐんでいる様子が見られたのは印象的だった。
とても日本的でしっとりとした、美しい映画。黒木和雄監督逝去のニュースは、映画ファンにとってたいへん悲しいものであるが、その遺作はこんなに素晴らしい映画だった。それがせめてもの慰めというべきか。