『太陽』30点(100点満点中)

正確に描くことができないなら、手を出してほしくないテーマ

ロシアを代表する映画作家アレクサンドル・ソクーロフが、イッセー尾形主演で昭和天皇についての映画を作ったというニュースは、映画ファンの間で知られていたが、天皇というデリケートな問題を外国人、それもロシア人の手で描くという事で、果たして日本国内で公開されるのかどうか、疑問視されていた。その問題作がこの『太陽』、ソクーロフ監督が、ヒトラー、レーニンに続いて「歴史上の重要人物」を描いたシリーズの第三弾だ。

1945年8月。疎開中の皇后(桃井かおり)や皇太子らと離れ、研究所で暮らす昭和天皇(イッセー尾形)が主人公。やがて敗戦を迎え、マッカーサーや米軍との対面や、日本軍上層部との対話、侍従とのやりとりを通して、人間としての天皇の内面、そしてあの戦争の意味について迫る。

映画ライターの皆さんは疲れているのか、試写室ではいつになくお眠りになっている方の多い作品であった。音楽はあまりなく、暗いトーンと少ない色の画面が淡々と流れていく映画だから、理解できなくもないが。

さて、天皇陛下をどうロシアの映画監督が描いているか、興味津々で出かけた私だが、まず、考証がいいかげんな点がいくつも目に付いた。独特の感性による映像美といわれればそれまでだが、皇居は皇居に見えないし、侍従との関係も、有名なマッカーサーとの会見場面も、監督の意思、演出のバイアスが強くかかっている印象を受ける。

そうしたテキトーさが見えるたび、恐らく皇室を強く敬う人々は怒りを感じるかもしれない。だが、私の場合は、この映画自体に対する興味自体を徐々に失っていった。しょせんは、日本人にとってもよくわからない天皇陛下という存在を、外国人が浅はかな知識で描いたファンタジーのようなものなのだ、とあきらめの心境に至った。

日本人なら、生半可な知識で手を出せる存在ではないが、外国人の監督にとっては、レーニンやヒトラーと同じ、歴史の登場人物の一人に過ぎない。その程度の認識で手を出すテーマだったということだ。

天皇陛下の人間味を描いたと監督はいうが、マッカーサー元帥との会見のとき、昭和天皇が命乞いをせず、代わりに国民を救ってやってくれと語り、マッカーサーを驚かせたエピソードなどは扱っていない。また、アメリカ軍に対する批判的描写はあるが、当のソ連が終戦間際に日本に対し行った不法行為については一切言及していない。

イッセー尾形による昭和天皇は、彼なりによく役作りをしたのだろうとは思うが、口をぱくぱくさせるような、奇抜なしぐさばかりを強調しすぎているきらいがある。連合国首脳をもってさえ緊張したと言わせた、独特なカリスマ性について、表現できているとはいいがたい。

戦争についての主張も、国が傲慢だったから負けたんだ的な論調で、薄っぺらい事この上ない。そんなわけで正直なところ、この映画には、心の奥底に響いてくるものがない。外国人から見たら、そう見えるのね、とは思うが、多くの愛国的日本人にとっては、かなり不愉快な印象を受ける作品ではないかと思う。



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