『ゲド戦記』35点(100点満点中)

これまでのジブリの短所を引き継ぎ、かつ長所を捨てた

『ゲド戦記』は、『指輪物語』『ナルニア国ものがたり』に並ぶ、世界三大ファンタジーの一つとされる。原作者がかたくなに映像化を拒みつづけ、かつては、あの宮崎駿でさえ断られたというこの作品を、息子の宮崎吾朗は自身の初監督作に選んだ。アニメーション制作は、もちろんスタジオジブリ。興収100億円を狙う、2006年夏シーズンの大本命の登場だ。

人間の生活圏に現れるはずの無い龍が、立て続けに侵入する異常事態が発生。世界の均衡が崩れつつあると予感した偉大なる魔法使い=大賢人のゲド(声:菅原文太)は、原因を探る旅に出る。やがてゲドは、父親を刺して逃亡中の王子アレン(声:岡田准一)と出会う。アレンが生きる気力を失っており、放置できない事に気づいたゲドは、彼を連れ、知り合いのテナーの家に身を寄せる。そこにはアレンと同年代の孤児の少女テルー(声:手嶌葵)も住んでいたが、彼女は命を大事にしないアレンに対し、激しく非難するのだった。

『ゲド戦記』は、試写会などを見た人々から、早くもブーイングの嵐が巻き起こっている。確かに、あまり良い出来の映画ではないが、正直なところ、これに限らず最近のジブリ作品に傑作は無いので、私としては「まあ、こんなものだろう」という気持ちである。長年のファンにとっては、今のジブリは『天空の城ラピュタ』あたりまでの(宮崎駿作品の好評による)貯金を食いつぶしているようなもので、最初からあまり期待はしていないのだ。

では、アニメ『ゲド戦記』は何がいけないのか。大雑把に言ってしまえば、「監督の頭の中だけで話が展開している」という事があげられよう。

アレンが父親を刺すにいたる過程、彼がなぜか大事に持つ剣、魔法がかかったその剣が初めて抜ける意味、龍の存在意義、テルーの正体、そういった、見るからに重要そうな出来事に、何一つまともに回答を提示していないのがその証拠。

それらはおそらく、宮崎吾朗監督の頭の中では、完璧な整合性をもって紡がれているのだろうが、それを観客に伝えるという事ができていない。また、映画のテーマについても、何の工夫も無く登場人物にくどいくらい連呼させてしまう。これは間違いなく、監督に映画製作の経験が無いことからくる弊害といえる。平たく言えば、経験不足ということだ。

さらに、ジブリアニメの慢性的な欠点「声優の不在」も、この映画は抱えている。主要なキャラクターの中では、幸いにしてゲド役の菅原文太が素晴らしい演技を見せているものの、肝心のヒロイン、テルー役の手嶌葵に問題が残る。

彼女が歌う、CMで流れまくっている不思議な魅力のある歌、あれはまだ良いとしても、この棒読み演技はいかがなものか。ジブリはもう、有名人や奇をてらったキャスティングで客を呼ぶ必要など無いくらいメジャーになったのだから、いいかげん、専門声優を使うべきだ。

また『ゲド戦記』は、ジブリ作品最大の長所といっても過言ではない背景美術について、これまでとは違う試みを行うという、ハイリスクを犯している。それは、この映画の美術をクロード・ロラン風に描くというもの。クロード・ロランはフランス古典絵画の画家だが、この試みがまた、あまり成功したとは思えない。観客の中には、「いつもより絵柄が粗っぽい気がする」と、マイナスに感じてしまう人も多かろう。

それでも宮崎駿の映画ならば、どんなにつまらぬ作品の中にも必ずいくつかは、こちらをハッとさせる凄いショットがあるのだが、宮崎吾朗監督『ゲド戦記』にはそれもない。

結局のところ、『ゲド戦記』は、ただでさえ未熟な出来の上に、これまでのジブリの短所を引き継ぎ、しかもあろうことか、これまでもっていた長所まで失うという、どうしようもない事をやっている。それでも、総合的に見れば(相変わらず)きわめて作画の品質が高いため、駄作とまではいえないが、多大な期待をするのはよしたほうが良いとアドバイスしておきたい。

 
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