『バルトの楽園』30点(100点満点中)

コンセプトをハッキリさせないと大作はコケるという見本

年末に各地で演奏される「第九」(交響曲第9番ニ短調)は、日本人にとってもっとも親しみのあるクラシック曲だろう。ベートーベン最後の交響曲として知られるこの曲の、とくに第4楽章は、『歓喜の歌』と呼ばれ、合唱曲として不動の人気を誇る。

では、いまや、年の瀬の風物詩とまでなっているこの合唱曲は、なぜ日本でこれほどの人気を誇るのだろう。そもそも、日本でこの曲が演奏されたのはいつなのか。実は、そこにはかつて敵同士だった日本人とドイツ人の、立場を超えた友情エピソードが隠されていたのである。それを描くのがこの、製作費15億円の邦画大作『バルトの楽園』(がくえん、と読む)である。

ときは1914年、第一次世界大戦のころ。このころの日本とドイツは当然、敵国同士だ。当時の日本には戦争による捕虜収容所が各地にあり、ドイツ人の捕虜4700名も、劣悪な環境の収容所で時を過ごしていた。

やがて、各地で収容所の統廃合がなされ、彼らの一部は徳島県鳴門市にある板東俘虜収容所へと送られる。ここからがドラマの始まりである。

次は、どんなにひどい境遇が待ち構えているかと思っていたドイツ人捕虜たちは、村人あげての歓迎ぶりに面食らう。じつはここの所長の松江豊寿(松平健)は、いってみればサムライ、武士道を体現したような人で、敵兵とはいえ、祖国のため命がけで戦ったドイツ兵に敬意を表し、考えられないほどの厚遇で捕虜たちと接していたのだ。

なにしろ、敷地内であれば移動は自由だし、新聞を作ったり楽器の演奏まで許されている。ドイツ風のパンを焼くなどの仕事を与えたり、挙句の果てには夜、捕虜たちで集まってビールで宴会を開いたりなどしている。

ちなみにこの理由としては、松江所長が会津の出身ということも大きい。会津藩士といえば、かつて命がけで戦った末、朝敵の汚名を着せられ、屈辱を受けた。こうした出自が、敵の立場も考慮できる発想につながったとしても不思議はない。

やがて、ここでドイツ兵捕虜と日本人たちは友好的な関係を結び、最後にお礼として捕虜たちは第九を演奏するのだ。それが、有名な日本での「第九」の初演とされている。

さて、そんなわけで『バルトの楽園』は、誰が見ても「戦争中のチョットいい話」を目指すべき感動ものである。ところが、実際観てみるとこの映画、その、もっとも大事なコンセプトがはっきりしないのである。

たとえば、松江所長やその収容所のすばらしさを強調するのなら、その前の収容所のひどい様子をしっかりと描かなければならないのに、それはナシ。そこをしっかりとやって、その過程でドイツ側の各キャラクターを描写しておけば、松江登場後とのメリハリが生まれ、松江のよさが際立つ上、観客がしっかりとドイツ側の人物を覚えている(感情移入している)分、ドラマも生きてくるのだ。

それなのに、のっけから板東の収容所にさっさと移動してしまうものだから、まったく話が盛り上がらない。しかもドイツ捕虜ときたら、こんなに素晴らしいトコに移ってきたのに、やたらと文句ばかりいっているものだから、観ているほうは「なんだこのワガママな連中は」と、本来抱くべき感想とは別の方向に思考が向かってしまう。

それだから、本当は強い信念の元に行動していたはずの松江所長も、まるでネジの抜けた、ただのお人よしのように見えてしまう。これは明らかに演出のミスである。これでは、松平健の貫禄ある演技も台無しだ。

無論、ドイツ兵らはただのワガママではなく、軍人としてのプライドなど、それなりに理由があってああいう態度をとっているのだが、そこをキッチリ観客に見せていないものだから、明らかに説明不足で誤解を生むことになっている。

また、クライマックスの合唱シーンも、15億円もかけた大作のわりにはカメラワークがおとなしすぎて高揚感に欠ける。せめて最後くらいは思い切り感動的にやるべきだ。ここがこの話の一番のキモなのだから。

そんなわけで『バルトの楽園』は、個人的に期待が大きかっただけに、強い失望を覚えた一本であった。これでは、観客にあの素晴らしいエピソードの魅力が十分に伝わらず、もったいない限りだ。

バルトの楽園
ノベライズ本です。映画より詳しい分、感動できるかな。


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