『ミュンヘン』55点(100点満点中)

誰もがとっくに気づいていることを、改めて明言しただけ

本作品は、スティーヴン・スピルバーグ監督久々の本格社会派ドラマということで、大きな注目を浴びている。また、ユダヤ系である彼が、イスラエルに対するテロ事件を題材に描いた作品ということで、各所に大きな波紋を呼んでいる。イスラエル側、パレスチナ側、鑑賞者がどちらの立場に立つかによって、賛否両論に分かれる内容であるためだ。

『ミュンヘン』で題材となるテロ事件「ミュンヘン五輪虐殺事件」とは、72年のオリンピック選手村にパレスチナのテロリスト数名が侵入、コーチと選手の2名を殺し、残りのイスラエル選手団9名を誘拐した事件のこと。『黒い九月』(ブラックセプテンバー)と名乗る犯人グループは、イスラエルに投獄されている仲間234名の釈放を求めて立てこもったが、ドイツ当局の対応のミスにより、のちに人質全員が殺害された。

ちなみに映画は、事件そのものではなく、その後イスラエルが報復として密かに実行した暗殺プロジェクトの様子と、そのリーダーの苦悩を描いた人間ドラマだ。この主人公を、『トロイ』でブラッド・ピット演じるアキレスと、激しい戦いを繰り広げて注目を浴びた、エリック・バナが演じる。

暗殺部隊のリーダーは、イスラエルの対外諜報機関モサドの局員で、ほかに爆破や射撃など、各種技術の専門家を集め、部隊を編成する。映画の前半では、彼らがあらゆる手段を使ってブラック・セプテンバーの幹部たちを追い詰めていく様子が、あたかもスパイ映画のように描かれる。

このあたりは、ノンフィクションらしからぬスリリングな演出が見所だ。銃撃戦や爆破シーンなどは、「プライベート・ライアン」を髣髴とさせる激しいもので、音響デザインもきめ細かく、臨場感は満点。淡々としていながらも、本物志向の凄みがある。

物語の後半になると、徐々に完璧な計画の歯車が狂ってくる。暗殺リストに載っていない人間を殺してしまったり、恐るべきことに、暗殺メンバーの方が逆にテロリスト側から狙われだしたりする。生まれたばかりの息子や愛する妻の安否を気遣うあまり、諜報機関モサドのメンバーとは思えぬほど、オタオタしだすリーダーの変化が、観客にショックを与える。

巷では、この映画における、テロリストも暗殺者もにんげんだもの、ってな描き方が評価されているそうだが、そんなものはあたりまえの話だ。彼らを悪魔的存在などと言っているのは、ハリウッドのお気楽娯楽映画か、ブッシュ大統領らのプロパガンダ的タテマエ演説だけ。いまどき、世界中見渡したって、そんなものを信じている人はいない。

さて、そんな主人公の様子を描く後半は、メッセージ性の強い内容になっている。どれどれ、いかほどの事を言うのかと思っていたが、これがなんとも拍子抜け。詳しくはネタバレになるから書けないが、「そんな事はとっくに、世界中の誰もが気づいているんだよ」と、私はがっかりした。問題はその先で、スピルバーグは問題解決のために何をすればよいと考えているのか、という点なのだ。私はそれが知りたかった。

たとえば米国共和党の現政権は、このテーマに対して(大いに批判されているが)明確なビジョンを示している。リベラルな世界中の反戦主義者たちも、(現実的ではないが)それなりに示している。それでも一向に解決しない。そういうドン詰まりの状況のなか、「あとは観客の皆さん、それぞれで考えてください」では、あまりに無責任ではないか。そんな事をいわれずとも、もうとっくに人々はこのテーマについて考え尽くしている。それでもどうにもならない問題だから、弱っているのだ。なのに、いまさら問題提起とは、時代遅れも甚だしい。ミュンヘン五輪事件の直後あたりにやるなら良かったが、2005年にやって評価されるような事ではない。大体この原作だって、出版されてもう何十年にもなるのだ。なにをいまさら、である。

映画自体は、さすがはスピルバーグで、長すぎて面白みは薄いものの、しっかりしたつくり。しかし、こうした社会派人間ドラマで、この程度のことしか語れないのでは、到底高い評価を与える事は出来ない。

この事件について、何も知らない人には、それなりに新鮮味はあるだろうが、原作を読んでいたり、詳しく調べている人にとっては、もはや古典だ。こうした点を理解していけば、不満に感じることも少ないであろう。



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