『四日間の奇蹟』20点(100点満点中)

もう時代遅れ

浅倉卓弥のデビュー小説を映画化したファンタジック・ラブストーリー。

主人公の青年(吉岡秀隆)は、天才的なピアノの才能を持ち、わが娘のように暮らす自閉症の少女をつれ、海辺の老人療養施設に慰問にやってきた。そこには偶然主人公を知る女性(石田ゆり子)が働いていたが、じつは彼女にとって主人公は初恋の人だった。心やさしい彼女は少女とも打ち解け、仲良く遊んでいたが、突然襲い掛かった落雷に二人は打たれてしまう。

さて、この落雷事故でどうなるかというと、なんとヒロインと自閉症少女の中身が入れ替わってしまうのである。昨年のアニメ映画「あたしン家」もそんな話だったと記憶するが、こちらは100%シリアスもの、オチャラケは一切ない。ヒロインは無傷な自閉症少女の体を得るが、ヒロインの体は落雷事故の衝撃で瀕死なので、自閉症の子もその中で死にかけているという設定だ。

それにしてもこの映画はひどい。何がひどいかといえば、すべてがひどい。メイン要素となるのは、療養所で働く介護士の女と主人公の恋物語であるが、これが実に唐突で、見ている側にはなぜこの女がこの主人公を好きなのかという肝心な部分が伝わってこない。落雷によって自閉症少女の体を得た介護士(ヒロイン)は、それまでの抑制の効いた大人の女性的な性格から人が変わったように(確かに入れ変わってはいるが……)主人公に猛アタックするが、これがどうにも違和感を感じる。恋だの言う前にやることがあるんじゃないのか? とんでもない状況なんだから。

さらにマズイのが、落雷によって中身が入れ替わるアイデアが、ほとんど物語の本質に絡んでいないという点だ。これだけ大胆かつ使い古されたファンタジー要素を入れるからには、それは物語上における必然でなければなるまい。しかし、このネタによってたとえば意外性が高まったとか、泣き度がアップしたかというと、それはない。だったら入れ替わりネタなどハナからやる必要ないではないか。

演出面でも疑問が残る点が多々ある。たとえば自閉症少女役の女優は、落雷後は中身がヒロインであるから、言葉も流暢に話せるようになる。これはわかる。

だが、主人公と恋人チックになっていくと、主に主人公とのツーショット時に演じる女優がヒロイン役の石田ゆり子に変わる。これもまた入れ替わりモノにはよくある演出であるが、その頻度が頻繁すぎるのである。せっかくあれだけ上手な子役(自閉症の演技など見事であった)を得たのだから、主人公との恋が成熟する過程はすべて彼女に演じさせたらよかったのだ。女優入れ替わりのワザはクライマックスのラブシーンあたりで、一度だけバーンと使えば効果的で、映画も盛り上がるだろうに。話の中盤から、何の脈絡もなく石田ゆり子になったりもとの女優に戻ったりを繰り返してしまっては、観客に無用な混乱を呼ぶだけだ。

台詞や細かい部分の展開にもリアリティがない。「普通そういう行動はとらないだろう」という場面が多すぎる。随所に芝居がかった非常識な行動が目に付くし、作り手がわの泣かせよう的なたくらみがあからさますぎてウンザリする。

ベートーベンの月光の第一楽章を延々と流す場面があったりするが、そんなことをやる暇があったら、もっと人間を描けといいたい。全体にチンタラしているくせに、そういう肝心なところをやらないのだから観客をなめている。

こういうベタ泣き純愛ドラマは、もう10番煎じくらいでまったく新味がない。しかも、それをこの時期に堂々と新作として出してくるのだから、この映画会社のセンスを私は本気で心配する。せめてセカチューの直後くらいに出すことができていればよかったが、もはや完全に時期を逸している。同じ週にライバルの東宝は『電車男』という、まったく新タイプの純愛ドラマをもってきたが、その出来映え、先進性において、両者の差は圧倒的だ。



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