『デビルマン』2点(100点満点中)
ポスターだけはいい映画
永井豪の代表作を、VFXを駆使したスペクタクルシーン満載で描いた映画化作品。
高校生の不動明(伊崎央登)は、親友の飛鳥了(伊崎右典)の家で、彼の父親が研究していた地球の先住民族デーモンのひとりに合体されてしまう。しかし、強靭な意志により精神をのっとられずにすんだ明は逆にデーモンの超能力を獲得、恋人美樹の生きる世界を守るため、地球を征服しようとするデーモン一族に戦いを挑む。
一般に広く知られている『デビルマン』は、恐らくTVアニメ版の方だろう。主人公不動明はデーモンに体をのっとられてしまうが、そのデーモンが人間の美樹に恋してしまったがために、仲間のデーモンにたった一人反旗を翻し、悲壮な戦いを挑むという愛のストーリーだ。傑作の主題歌と合わせ、今でも覚えている人は多かろう。
さて、まず最初に注意すべきは、映画版の原作となっているのはこれとはまったく別のストーリー展開を持つ漫画版の方だという事。もともとアニメが先に企画された『デビルマン』だが、原作者の永井豪がほぼ同時進行で作り上げた漫画版の方は、TVアニメしか知らない人が見たら、卒倒してしまうほどショッキングなストーリーと残酷描写を持つ作品だ。
日本コミック史に残る傑作との誉れ高いこの原作の方をあえて映画化するからには、そのテーマ性や特長を今の観客に伝えるものでなくてはならない。では、漫画版『デビルマン』の魅力とはいったい何か。
人によって意見は多々あれど、ひとつだけ言うなら既存の少年漫画の常識をいくつも打ち破った衝撃的なストーリーがあげられる。詳しくはネタバレになってしまうのでやめておくが、勧善懲悪モノに慣れていた当時の純朴な少年たちの中には、何の前触れもなくこの作品を読まされて大ショックを受け、トラウマになってしまった人も数多い。
壮大なストーリーをわずか5巻で完結させてあるために説明を省いている部分が多く、結末の解釈についても意見が分かれるなど、語るにふさわしい要素が満載だ。私の手元にある初版本は今で言う差別用語が連発されてるため、現在読めるのは作者による改訂版なのだそうだが、機会があったらぜひ読んでほしい作品だ。
ところで、無理なく映画化できるのは、漫画でいえば単行本一冊程度の内容だとよく言われる。『デビルマン』はただでさえ凝縮した全5巻なのに、そのすべてを2時間弱で映画化しようとしたのはやはり無理があった。
恐らく、アニメ版しか見たことがない等、漫画版の原作を知らない者がこの映画を見れば、「なんて強引な展開だ、ふざけてるのか?」と思うだろう。比較的忠実に漫画をなぞっているのだが、原作要素の抽出に工夫と練りこみが足りないため、説明不足のままどんどん進んでしまう。置いていかれた観客たちのポカーンといった表情が目に浮かぶようだ。
語り方にも芸がなく、前半はやたらと説明的なセリフが多い。しかも、主人公らを演じる若い役者たちはそろってセリフ棒読み。冒頭から中学生日記のような脱力芝居を見せられるので、最初の10分で観客の4分の1くらいは、劇場に入ったことを後悔しはじめるはずだ。
ただ、役者たちを責めるのも気の毒。あんな子供じみたセリフばかりでは、誰が演じてもバカみたいに見えてしまうのは当然。この脚本では、若さゆえ経験不足な彼らでない者が演じたとしても、結果は同じ事だっただろう。
映画版『デビルマン』を見て私が思うのは、あらゆる面で「余裕がない」という事だ。予算も製作期間も、役者の演技力もしかり。だからこんなにも完成度が低く、原作ファンも単なる娯楽映画ファンもがっかりさせる、誰のために作られたんだかわからないトンチンカンな映画が生まれてしまう。
どうせ漫画版を原作にするのだったら、せめて3部作くらいにはすべきだった。そして1作目はアニメ版デビルマンのファンが喜ぶようなエンタテイメントに徹したものを作って一般客を呼び込み、まずは間口を広げる戦略でいったら良かった。漫画版本来のシリアスなテーマを語るのは2作目以降でも遅くない。うまくいけばドル箱シリーズとなったかもしれないのに、またもや優良コンテンツの使い捨てである。
まあ、そんな長期的なプランを組む余裕が今の邦画界にない事くらい、わからないわけでもないが。今回のような貧弱な出来映えになるくらいなら、いっそ(実際にオファーが来ていた)ハリウッドにまかせた方がまだマシだった気がする。
映画の骨格が駄目なので、飾り付けとなるVFXや何やらの出来が多少良くても評価はしにくい。戦闘シーンで使われるアニメ的構図や止め絵などの手法も面白いが、そもそもデビルマンの戦闘シーン自体が少なく、ほとんどが学芸会……いや、役者による演技合戦なのでいかんともしがたい。
唯一、寺田克也(『キューティハニー』のキャラクターデザイン等)によるコンセプトデザインは素晴らしいものがある。とくに、一部マニア間で話題になっているシレーヌのポスターなどは、思わず夜中にはがしたくなるほどの魅力があるが、冨永愛演じるこのキャラクターの出番は予想以上に少なく、10分出たか?と思う程度。
おまけにデビルマンとの格闘アクションは、演出の稚拙さもあって迫力ゼロ。あんなに美しいプロポーションを持ってる被写体なのになんとももったいない。先出の寺田克也によるコスチュームデザインも、ポスターと違って冨永愛に遠慮してるかのような露出度の低いものでイマイチだ。
まあ、色々と書いてきたが、人間たまには本気で怒ったりするのも健康にはいいらしい。原作ファンにとっては、そんなウェルネス効果を得られる作品だから、思い切って1800円を賭けてみるのも悪くはない。また、アニメ版のファンや、初めて『デビルマン』に触れる人に対しては、せっかく興味を持ったなら永井豪の原作を読んでから出かけた方がよろしいとアドバイスしておく。
映画『デビルマン』の上映劇場に入ると、もれなくサル芝居と素っ頓狂なストーリー、ボブ・サップらゲスト出演者のみっともない姿が見られる特典がついてくるが、入り口で冨永愛のポスターを見てから帰れば多少は腹の虫も収まるというもの。さあ、今週末はみんなで『デビルマン』を見に行こう!