『天使の牙』20点(100点満点中)
期待の邦画アクションは、やはり「客のニーズがわかってない」作りだった
大沢在昌のベストセラー小説の映画化。
突っ込みどころ満載の日本映画が、またひとつ誕生した。『天使の牙』って、こんなにアホらしい話だったっけ……? と、私は見ながら何度も首をひねった。私が原作の小説を読んだのは、確か、まだ週刊誌に連載されていた頃だから、記憶が薄れているのもしかたがないが、それにしてもおかしい。小説を読んだときは、こんなヘンな話ではなかったはずだ。むしろ、とても面白いと感じていたのだ。
では、なぜその『とても面白い小説』が、こうも馬鹿馬鹿しい映画になってしまうかといえば、リアリティというものをこの映画が軽視しているからだ。
確かにこの原作は、殉職した女刑事の脳を、脳死した別の美女に移植するという、メインアイデア自体が荒唐無稽な話ではあるが、だからといって、荒唐無稽な映画にしていいと言うことではないのだ。それでは、観客がアホらしくて誰もついてこれなくなってしまうではないか。
むしろ、この手のサイエンス・フィクションを成立させるためには、メインアイデアを支える周辺要素のリアリティを徹底しなくてはならない。それでこそ、客はありえない設定をも受け入れてくれるのだ。
ところが『天使の牙』(映画版)はそれが出来ていない。細かい所を言えば、銃の達人という設定の奴が、拳銃の構え1つ満足にできていないとか、脳移植後1年間しか経っていないというのに、髪の毛が超ロングになってるとか(脳の手術の際は、スキンヘッドにするが、もう伸びたのか?)枚挙に暇がない。
さらにもう1つ、わかりやすい例をあげよう。クライマックスに、敵陣に捕らわれた仲間を見事見つけ、早く逃げなくてはならないというシーンがある。ところが、主人公たちは逃げ出さず、なぜかいつまでも、大声で身の上話をしているのだ。そして、そのせいで二人は敵に見つかってしまうのである。お前らはバカか?
こういう、常識で考えてありえないシーンを平気で作ってしまうというのは、いかにマジメに脚本を練りこんでいないかの証拠みたいなものだ。
さらに、和製レクター(『羊たちの沈黙』のハンニバル・レクターの事)とか称する、あの悪役の親玉は何だ。地下の秘密基地にどっかり座り、黒服の手下に指示をだして悪い事をしている……って、これを考えたやつは、いったいどういうセンスなのだ? こんな子供だましでは、観客をバカにしているといわれても、仕方があるまい。
また、この話の面白さの1つは、ドンくさい女刑事の脳が、超美人の身体に移植されるというギャップである。だが、映画版では刑事役も美人役も、どっちも美人の女優なので、この面白さがまったく感じられない。「恋人が、ある日突然スタイル抜群のオシャレな美人になっても愛せますか? また、その愛は、美しくなった見た目に向けられたものでは無いと確信できますか?」という隠れたテーマも、これでは生きてこない。
女刑事役に、山田花子を使えとまでは言わないが、もうちょっとブスメークをして、服もドンくさいセンスのものを着せるくらいの演出があっても良かろうに……。
せっかくの現代劇アクション邦画であったが、あわれ、またもや今週のダメダメ認定である。小説は、あんなに面白かったのに……こんなに安っぽいマンガ映画になってしまうとは。重ね重ね、ガックリである。
っと、1つ書き忘れたが、エンドクレジットの後に、けっこう長いおまけがあるので、途中で席を立たぬようご注意を。