『君たちはどう生きるか』55点(100点満点中)
2023年日本 124分 2023/07/14公開 配給:東宝 監督:宮ア駿

≪秘密主義がどんな結果となるか≫

宣伝なし、予告編もあらすじも含めて事前情報なしという、宮ア駿監督の長編復帰作品「君たちはどう生きるか」は、いかにも近年の宮ア作品らしいパーソナルかつ静かな一本であった。

母親を火事で亡くしたマヒトは、戦争がはじまって4年目に父に連れられ、再婚相手が暮らす郊外の屋敷へと越してきた。軍需工場を営む父親は裕福で、屋敷には多くのベテラン使用人がおり、マヒトは戦中ながら何不自由なく暮らすことに。

そんなとき、妙に動きが人間臭いアオサギに導かれるように沼の近くまで歩いて行ったマヒトは、そのほとりに謎めいた塔を発見する。聞くと、亡き母の大叔父が建てたらしいが、その大叔父も含めてこの近辺では神隠しが続いているという。そんないわくつきの塔に魅せられたマヒトは、使用人たちの反対を押し切り入ろうとするが……。

なぜこの映画が事前の宣伝を行わないかについては、すでにnoteで詳しく考察しているので興味ある人は読んでみるとよい。

さて、冒頭の火事のシーンは、さすが宮アアニメというべき見事な表現力により、なんとかぎりぎりオープニング・スペクタクルとして成立している。何しろ悲惨な火事だから、受ける印象はひたすら「不穏」だ。

その後の本筋も舞台が「戦中の日本」だから、重苦しい空気はしばらく晴れないまま。具体的には塔を入り口に異世界へと主人公らが入り込むまでは、ずっと続く。

この序盤が不要なまでにもたついていて、時間的にも長く、宮ア監督の手腕にかつての活劇の名手としての面影は全くない。別の意味で、見ていて不安が募るばかりである。

そして結局この不発感は、メインの見せ場である異世界パートにおいても後を引き、最後まで爽快感に欠ける「冒険活劇」であったと言わざるを得ない。

映画のキーとなるのは「塔」で、これは「維新」(明治維新か?)の直後に空から降ってきたとの設定が中盤で明らかになる。以来、ある役目を果たしていることが徐々にこちらにもわかってくる。

明治維新から戦争にいたるまでの日本、もしくはその原動力となった思想などのエネルギー。そのアイロニー的な象徴がこの「塔」ということだろう。

そう考えると、ここで大叔父がいうところの「(汚れ無き)積み木」と「仕事」が何を比喩しているのかも、この時代背景(戦争4年目……日中戦争ではなく真珠湾攻撃=1941年=昭和16年から数えて4年目なのは明らかだろう)を考えれば、嫌でも察しが付く仕組みである。

この異世界には、「崖の上のポニョ」(08年)でもあけすけに見せた、近年の宮ア監督の興味事項である「死生観」が色濃く反映されている。この監督が死、そして生をどういうものだと考えているか、それが月夜の晩の美しくも残酷なシークエンスで、おぼろげにでも伝わってくるだろう。

また、マザコンを自称するこの監督の映画のヒロインは例外なく母性豊かな女性(少女だったり熟女だったりバアちゃんだったり)なわけだが、本作ではそのテーマが過去最大級に反映されている(見れば意味がわかる)。

晩年になると、作家というのはここまでストレートに自己表現をするものかと、正直驚かされた部分でもある。この映画は、宮ア監督が「母親」に対してどう思っているか、その気持ちをつぎ込んだパーソナルな一本といえるのかもしれない。

このほか、狂言回し的キャラクターのアオサギと出会う場所は、ルパンとクラリスが出会った水辺にそっくりだし、塔の内部で大王を追いかける場面などはまさに「カリオストロ」や「ラピュタ」のそれだ。「トトロ」や「もののけ」「千と千尋」を彷彿とさせるスペクタクルやキャラクターも出てくるが、ここまでくると意図的だろう。ある意味本作は、「宮ア駿」の総決算、総集編的意味合いも備える、ということだ。

なお、宮アアニメは初期からどれも非常に作家性が強いのだが、同時に観客を置き去りにしない娯楽精神も兼ね備えているのが特徴だった。

ただし、年々後者の部分がボリューム的に物足りなくなってきたのは、おそらく監督が興味を失いつつあるという事なのだろう。

それでもプロとしての責任感があるから、歴代最もパーソナルで内省的というべき「君たちはどう生きるか」においても、最小限のエンターテイメントは維持されている。

しかし、この映画が口コミで評判を呼び、100億200億の興収をあげる未来はなかなか私には思い浮かばない。ぱっと見でわかりやすい、面白い映画ではないし、リピートしたくなる魅力にも乏しいからだ。

中でも難しいのは、いったい他人にどうこのアニメの魅力を伝えたらいいのか、という点である。なにしろ長編としては前作から10年も経っており、宮アファンの多くが映画市場から卒業している。この難解さを理解できるファンがどれだけ残っているか、という問題がある。なにより140文字または写真一枚のSNS時代に、簡単に伝えられるような作品なのか。

だが、スタジオジブリがこのあとも長編アニメを作り続けるかどうかは、本作の評判にかかっている。

全盛期の監督ならば、この物語最大の秘密が明らかになるクライマックスのカタルシスは、もっともっと強烈なものだったろうし、塔の冒険の場面ではこちらをはっとさせる、アニメーションとしての純粋な動きの新鮮さや構図の美しさをいくつかは配置できたはずだろうと思う。

そうしたものが無かったがために、超映画批評としてもこの点数しかあげられない。ここが最高到達点なのか、次は違うのか。いい意味で裏切ってほしいと切に願う限りである。



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