『スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』85点(100点満点中)
21年アメリカ SPIDER-MAN: NO WAY HOME 公開日: 2022/01/07 配給:ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント 監督:ジョン・ワッツ 出演:トム・ホランド ゼンデイヤ ベネディクト・カンバーバッチ
≪打ち切られた「アメイジング」へのあふれる思いに衝撃を受ける≫
『スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』は早くも全米オープニング興行収入歴代2位、まだ日本市場の分を入れないうちから世界興収6億0093万ドル(約685億円)と、とんでもない数字をたたき出し話題になっている。21年度の世界トップは間違いないのではと思われる。
その理由もよくわかる。本作はただでさえ素晴らしい出来栄えだが、くわえてわずか2本で打ち切られた「アメイジング・スパイダーマン」(12年)に対してせつない思いを抱えていた全スパイディファンに対し、とてつもない贈り物になっているからだ。
全世界に正体がばれてしまったスバイダーマンことピーター・パーカー(トム・ホランド)の生活は一変した。正義のため戦ってきたはずが、メディアは彼を殺人者とあおり、それに乗せられた大衆の非難を一身に浴びる羽目になってしまった。ピーターはメイおばさん(マリサ・トメイ)や恋人MJ(ゼンデイヤ)を守るため、「人々の記憶を消す」魔術をドクター・ストレンジ(ベネディクト・カンバーバッチ)に依頼するが、この浅はかな依頼が、時空を揺るがす大惨事を引き起こしてしまう。
さて、この後の展開だが、ゆがめられた時空はマルチバース(並行世界のようなもの)から、恐ろしい敵を呼び寄せてしまう。予告編でもあるように、それはドック・オクなど今のスパイダーマンが対戦したことのない(けどファンなら皆知っている)敵である。
つまり、サム・ライミ版の実写三部作、そして先述したアメージング2作品の敵が出てきて、トム・ホランド版スパイダーマンと戦うわけである。これが本作最大の見どころであり、話題性というわけだ。
これは見事な発想の転換である。
マルチバースという概念を導入したことで、「アメージング」のように内容は素晴らしかったのに興収などを理由に打ち切られた不遇のシリーズが復活する。これは私のように、あれを非常に残念だと思っていた観客には涙が出るほどうれしい話だろう。
決戦前にビルの上で奇妙な会話のやり取りをする場面があるが、ここは試写室では笑いを誘っていたがとんでもない。コアなファンはむしろ泣くところだ。この不可思議なシーンをここに挿入したことは、この映画にかかわった作り手たちが、私たちと同じようにアメージングの不遇を心から悔しく思っていて、なんとかよみがえらせたいと思っていたことの証明である。その情熱と執念と、なにより愛情深さに涙が出るのである。
作品のテーマも「分断から和解へ」という近年のハリウッド映画の王道そのもの。ポイントはメイという人物の「すべての人に救いの手を」という価値観である。
これこそが、成長したスパイダーマン(つまり他のヒーロー映画と同様、アメリカそのものを比喩する)が伝えたかったことだろう。そう考えるとこの映画、多くのメタファーを含むことがわかる。
まず一つ目の背景としては、戦った人たちが幸せになれないというスパイダーマンならではの設定があげられる。スパイダーマンはアメリカの比喩だから、これは要するにいくら戦っても、悪を退治しても幸せになれないアメリカ、ということになる。
もっといえば、正義のために戦ってもいつもひどい目にあう主人公ピーター・パーカーは、湾岸戦争やイラクからの帰還兵の多くがPTSDになっているという、厳然たる現実を思い起こさせる。日本人はそうでもないだろうが、一定年齢以上のアメリカ人なら、これはきっと脳裏をよぎるはずだ。
──我が国は圧倒的軍事力でいつも勝利し、悪を征したはずなのになぜ俺たち軍人やその家族はこんな仕打ちを受けねばならないのか……。
これは多くのアメリカ人が生理的に感じていることでもある。この暗い現実が、本作のテーマにリアリティと奥行きを与えている。
二つ目の背景としては、メイおばさんの価値観「すべての人に救いの手を」は、救世主を信仰するキリスト教の価値感そのものだということだ。
この二つを合わせて考えてみると、本作は解釈しやすい。
つまり、非現実の極みである宗教と、現実の極みである戦争。その二つの道筋をとおったアメリカが、最終的に全く同じ結論を見出した点こそが、まさにこの2021年に描く価値があるテーマということなのである。
さあ、ここまでくればあと一歩先まで考えてみてほしい。
いまアメリカ政府は史上最大の敵というべき中国と、こともあろうに対決姿勢を強めている。これを、本作を作ったハリウッドの映画人や、上記で解説した背景を理解するアメリカ人たちは、何としても止めたいのだとわかるだろう。
これはリベラルとか左派の話ではない。アメリカ戦争政策の被害者はむしろ米軍人やその家族であり、彼らこそが戦争反対の思いを強く持っているのは、近年のアメリカ社会の特徴でもある。
このように、映画を見るとその国のこと、ニュースに出てこない心の内がよくわかる。「映画は最高の一次情報」と私がいつも言っているのはこういうことだ。
『スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』はアメコミ映画ファンやスパイダーマンシリーズのファンに向けた贈り物であると同時に、こうしたアメリカ社会に根付く深いメッセージをはらんでいる。
そのどちらもが強く共感されたがゆえに、これほどの大ヒットとなっているのである。
個人的には、もう少しクライマックスの演出をこうしていれば、との具体的な修正点をいくつもあげられるものの、まあ、これだけのものを作ってくれればまずは十分、といったところ。それに、ここでその問題点を書いてしまうと完全にネタバレになってしまう。
ちなみにこの映画は、皆さんがこの記事を読んでいる21日の午後7時が情報解禁日になっている。アメリカで公開済みであることもあり、おそらくネット上では本日からネタバレ情報があふれまくるに決まっている。
アクセスを稼ぎたいニュースサイトや映画サイトそして無遠慮なSNSアカウントが、本作を楽しむために「知っておいてはいけない」重要な要素を全部書いてしまうことは私の経験上、間違いない。
だから楽しみにしている人は今すぐ「スパイダーマン」をNGワードに指定し、目の前から一時的に消し去ることが肝要だ。