『ミッドナイトスワン』60点(100点満点中)
20年 日本 124分 監督:内田英治 出演:草なぎ剛 服部樹咲 水川あさみ

≪弱き人たちの物語≫

今、世界では分断統治への反発から、多様性の大切さを描くテーマの映画が多い。LGBTQを扱った作品が増えているのもその流行の一つだが、『ミッドナイトスワン』は日本から発信される、同テーマの人間ドラマである。

ニューハーフクラブのショーガールとして働くトランスジェンダーの凪沙(草なぎ剛)は、故郷で虐待され育児放棄された遠縁の少女・一果(服部樹咲)を預かることになった。当初は迷惑だと思っていた凪沙だが、彼女と接するうちにこれまで意識しなかった自身の母性を発見し、やがて心を通わせるようになってゆく。

女性ならば、母性の発現とは、単にほほえましく幸福な変化にすぎない。だがそれがトランスジェンダーだとどうか。ここまで壮絶な悲劇物語となる。本作はそれをガツンと見せることで、LGBTQ問題の本質を問題提起する。

じつは一果にはバレエの才能があり、お金持ちの同級生の助けで、凪沙に隠れて教室に通ったりするほどに大好きだ。一応は、バレエらしき踊りを毎夜仕事場で披露している凪沙は、そんな奇妙な共通点から、徐々に彼女を理解していくようになる。

この映画は、一般人のLGBTQへの理解を、荒療法で一気に進ませる目的でもあるのかと思うほど、壮絶な描写が特徴である。

地方どころか、東京の新宿であっても、トランスジェンダーの人間が生きるということはこれほどまでに苦しく、辛いものなのかと誰もが衝撃を受けるだろう。

経済的困窮の原因としては、トランスジェンダーをカミングアウトして生きると、人間関係や交流関係、就職先が相当限られることや、肉体の性別を心に合わせるための注射等の治療費が相当必要になるからであろう。ただでさえ弱い立場なのに、社会からの十分な協力が得られないというのは地獄である。

草なぎ剛演じる主人公の生活には、華やかなものはまるでなく、苦しさと、貧しさと、孤独しかない。彼の演技も、長期にわたる困窮を想像させる部屋の美術も文句なしに素晴らしい。主人公の生活にどれほどのリアリティーがあるかにかかわらず、彼の胸を打つ演技の数々は、当事者の共感を得ることには成功しているのではないかと想像する。

心やさしいバレエの教師(真飛聖)が思わず彼にあることを言ってしまうシーンがある。言葉尻だけ見たら失言のようだがそうならない。そのとき草なぎ剛が見せる笑顔が素晴らしい。このシーンはその直前、主人公が一般企業に面接にいったときの、上っ面だけの歓迎ムードにおける彼の表情と対になる演出&演技である。

この違いを見てくれという、作り手の切実な思いが伝わってくるかのようで、私は激しく心を動かされた。結局、人の心に響くかどうかは、何を言うかではない。どう思っているかなのだとよくわかる。

結局この時のバレエ教師の一言が凪沙の一生の支えになり、同時に運命を変える決断へとつながっていってしまう。それがどれほど覚悟のいることか、後半エスカレートする壮絶人生の様子が伝えてくる。知識だけで知っていることと実際では大違いなのだと、映画は問いかける。

非常に丁寧で腰の重い、本格的な人間ドラマで高く評価できる。

ただ一方で、終盤の急展開の効果には疑問も残る。せっかくの金持ちの同級生友人(上野鈴華)の存在とヒロインとの関係も浮いている。ここと、その後の一果の行動のつながりがあまり感じられず、むしろ途切れている印象が残る。これが一番の問題点である。

彼女と一果の物語のつながりを十分に描写していないために、繰り返しまたは相似となる凪沙との関係(とくにラストシーン)も、効果を上げ切れていない。

これならむしろ、凪沙と一果の愛の物語の結末も、別の形にしたほうがすんなりいっただろう。そのほうがテーマもより鮮明になり、印象も深くなったように思う。

まとめると、実は重要だった同級生との関係描写が不十分だったため、この結末が十分に生かされていないということだ。

初心者から上達後までを演じ分けた服部樹咲はバレエダンサーであり、演技力はまだ未知数だが、13歳というから今後が楽しみな逸材である。本作で観客へ与えたインパクトは相当なものだ。また、相手役の上野鈴華もいい。今後要チェックである。



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