『チィファの手紙』60点(100点満点中)
監督:岩井俊二 出演:ジョウ・シュン チン・ハオ ドゥー・ジアン
≪自信たっぷりの中国映画版『ラストレター』≫
現在の映画界を冷静に眺めてみると、アメリカはコロナ禍から立ち直れず壊滅的な状態。欧州もしかり。日本も低空飛行。主要国で唯一、この状況で経済成長を遂げ立ち直りつつあるのが中国ということになる。
グレートリセットから真っ先に飛び出したことで、今後の世界経済での存在感をさらに強めたのは疑いなく、だからこそ覇権を奪われる危機感を持ったアメリカは必死に中国の排斥を進めている。
こうした中、岩井俊二監督が『チィファの手紙』で本格的に中国市場に打って出たのは、なかなか合理的な流れといえるのかもしれない。
若くして姉チーナンを亡くしたチィファ(ジョウ・シュン)は、その死を知らせるため姉の同窓会に出席する。ところが場の雰囲気を壊しそうでなかなか言い出せず、あろうことか姉本人と勘違いされたのに否定もできないのだった。そんな帰り道、チィファの初恋相手でもあるチュアン(チン・ハオ)と再会、真実を言えぬまま姉として文通を始めることになってしまう。
あらすじからわかるとおり、これは同監督の『ラストレター』の中国映画版セルフリメイクである。
じつは岩井俊二監督は長編デビュー作『Love Letter』(95年)が、すでに中国で人気を博していた。つまり昨今の中国の成長より以前から、中国市場というものを意識していたクリエイターの一人であることは間違いない。
今回、彼が『ラストレター』の中国版を作るにあたって、このことは無視できない事実である。
というのも、『チィファの手紙』は日本版『ラストレター』と、役者と舞台以外、ほとんど違いがないからである。
通常、セルフリメイクだろうと国別版ともなれば、内容についても現地に合わせたローカライズを施すものだが、気持ちいいほどにこの映画は『ラストレター』と受ける印象が変わらない。
少年少女時代と現代、それぞれのパートが中国版の場合は、間にけた違いの経済成長が含まれているため、見た目に激しいギャップがあって興味深いという、せいぜいそのくらいである。
ちなみに『ラストレター』は、ノスタルジィな美少女信仰から抜け出せない中年男が、崇める理想の女性像を松たか子に投影して美化しまくったような作品。言い換えれば岩井俊二映画の集大成のような内容であった。
この、男どもにとって微妙な「琴線」というやつをまったくローカライズすることなく『チィファの手紙』にしてしまうのだから、監督には自分が作り上げてきたものに相当の自信があったにちがいない。そしてその原点は、かつてのデビュー作がそのまま受け入れられたという事実にあるに決まっているのである。
おそらく現在企画されている『Love Letter』の中国映画版(これこそが中国市場における本命だろう)も、よほど本作に興行的失敗などのアクシデントが起きなければ、同様の作風になるはずだ。
その意味で、『チィファの手紙』は今後の(中国市場における)岩井俊二ユニバースを占う作品といえる。
最後に、日本人にとって『チィファの手紙』はどうなのかという問題だが、これは微妙だ。『チィファの手紙』は、内容についてはまったくローカライズされていないものの、感情移入先となる俳優たちが当然、中国人好みのキャスティングである。そもそも言語も違う。
私としては、積極的に日本人のお客さんが見る理由はあまりないように思う。日本人向けに最適化された『ラストレター』がある以上、どうせ見るなら後者でいいだろう、と思ってしまうのである。