『ファナティック ハリウッドの狂愛者』55点(100点満点中)
監督:フレッド・ダースト 出演:ジョン・トラヴォルタ デヴォン・サワ アナ・ゴーリャ

≪『ジョーカー』になり損ねた≫

ストーカー映画は数あれど、『ファナティック ハリウッドの狂愛者』は変化球を狙いながらボール球に外れた、少々残念な一品である。

映画オタクのムース(ジョン・トラヴォルタ)は、ハリウッドの観光地で売れない大道芸人をしながら、誰より敬愛する俳優ハンター・ダンバー(デヴォン・サワ)の追っかけやコレクターをする日々だ。ところがその愛情は行き過ぎて、仲良しの女性カメラマン、リア(アナ・ゴーリャ)の制止も聞かず、彼の自宅にまで押し掛ける始末。だがハンターに冷たくあしらわれたことで、ムースのリミッターは外れ始めるのだった。

現実のストーカーの被害は男女問わず、ではあるものの、この映画はかなり年の行った男性が、若い映画スターに執着する珍しい構図。

これがもし、キモい男のファンがアイドルに執着するとか、一般男性が元カノに執着するなどの場合ならば、リアリティあふれる恐怖を醸し出すにははるかに有利である。だが、動機も筋書きが読みやすく平凡になりがちというデメリットもある。

ところが『ファナティック ハリウッドの狂愛者』のような構図にすれば、一味違ったストーカー映画を作れる。こいつは面白いはずだ、との着想である。

じっさい、性欲と支配欲が原動力となりがちな「男→女」タイプのストーカーと違い、この映画のムースのそれは、異常ではあるのだがどこか少年的というか、純粋なファン心理に近いものを感じさせる。

65歳のジョン・トラボルタは実年齢よりはるかに若く見えるが、その原因もこの役柄が、いい意味でも悪い意味でも妙に子供っぽいところがあるからだ。

さらにこの構図で特徴的なのは、普通ならば襲われる側が圧倒的に不利な立場なのに、そうではない点だろう。

なにしろ、アクションスターであるハンターは肉体的にも強靭だし、初対面のファンに怒鳴り散らすような、キレたらやばい系でもある。もちろん成功した大金持ちであり、経済的にも社会的にも圧倒的な強者である。

一方ムースは、どこかADHD的というか、ボーダーを感じさせる頭の弱いキャラクター。空気が読めないから大道芸人としてもまったく目が出ず、家族を持てるだけの経済力もなく、その日暮らしだ。

それでも、カネのために危ない橋を渡って儲けるような、犯罪行為を行う輩を憎むまっとうな倫理感は持っている。

つまりこの映画は、ストーカーという犯罪行為を描いていながら、いかれている人間とまともな人間の境界線をわざとあいまいにしている。

とくに、被害者と加害者の経済格差を見せることで、こうした事件が起きる原因がいったい誰に、あるいはどこにあるのか。観客の先入観と価値観を揺らがせることにチャレンジしているのである。

……と書くと、なかなか意欲的な作品と思うかもしれないが、悲しいかなその試みはもう少しのところでうまくいっておらず、本国での評価も低い。

トラボルタはこれまで演じたキャラクターの中で、ムースが一番好きだと言っているが、映画自体は彼のキャリアの中で最も低いオープニング興収を記録し、さらにゴールデンラズベリー賞の最低主演男優賞までいただく羽目になった。愛情が報われないのは劇中のムースと同じ。踏んだり蹴ったりとはこのことだ。

リアをはじめ、ムースに世話を焼く友人たちとのエピソードをいくつか混ぜてムースの人間味を感じさせたり、彼の感じる生きずらさ、苦しみをもう少し実感を得られる形で描いていれば、『ジョーカー』のような高評価を得られたかもしれないのだが、現実は厳しい。

ラストの不可解な展開をみると、面白くて怖いけれど一筋縄ではいかない哲学的なサスペンス、を狙いながらうまくいかなかった、そんな印象を受ける。

分断テーマがはやる現在のハリウッド映画らしく、もう少しきっぱりとした結論を見出せばもっと良くなったと思うのだが、後の祭りである。



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