『mid90s ミッドナインティーズ』70点(100点満点中)
監督・脚本 ジョナ・ヒル 出演:サニー・スリッチ キャサリン・ウォーターストン ルーカス・ヘッジズ ナケル・スミス 配給:トランスフォーマー 映倫:PG12

≪古き良き時代ではなかった90年代≫

アメリカの俳優は、監督業に進出することが多い。映画作りの現場を仕切ってみたいとの純粋な夢、が動機であることは間違いないだろうが、それだけではない。

まず、俳優という仕事はハリウッドにおける業種の中では決して長期安定業というわけではない厳しい現実がある。そこで彼らは監督を経て製作(プロデュース業)へとステップアップを目指す。製作者としてヒット作を連発すれば、収入面でも青天井となる。

だからキャリアの早い時期に監督業に手を出す俳優が絶えないわけだが、『mid90s ミッドナインティーズ』でその道を選んだジョナ・ヒルは違う。

彼は、周囲が次々とジョブチェンジしていくのをしり目に、15年間も地道にこの日を待ち、勉強と準備を続けた。

この映画には、そうして彼が温め続けたアイデアと、マーティン・スコセッシ&イーサン・コーエンら交流ある一流の映画監督から学んだ映画術が込められている。監督デビュー作だが、そんなわけでなかなかの出来栄えとなっている。

舞台は90年代のLA。13歳のスティーヴィー(サニー・スリッチ)は、不在がちな母と、何かと暴力をふるう兄の3人で暮らしている。自宅に居場所のない彼は、街でスケートボードをする不良グループに惹かれ、勇気を出して輪に入ろうとするが……。

三つ四つほど年上にすぎないのに、タバコや酒、女の子とのパーティーを自由に楽しむ「イケてる連中」が、ものすごく大人に見える。似た経験は、万国共通誰にでもあるだろう。

母や兄の支配から抜け出たことのないスティーヴィーにとって、スケボーを通じて彼らの世界へ飛び込むことは、まさに大人への階段。

この映画は、一人の少年がいっぱしの"男"として仲間に認められるため無鉄砲に走り抜ける、そんな(男性なら特に)共感度たっぷりの青春映画である。

90年代をリアルに見せるため、16ミリフィルム、スタンダードサイズで撮影した。単純な工夫だが、確かにレトロな質感を味わえる。90年代を知る世代の人には、心地よいタイムスリップ感を感じられるだろう。

主演のサニー・スリッチ以外は演技未経験者であり、サニー・スリッチも含めてプロスケーターの実力者をそろえたため、スケボーシーンも美しい。

脚本にはジョナ・ヒル監督の実体験も織り込んでいるがそればかりではなく、あくまで時代を超えた普遍的な"青春"の価値を伝える映画となっている。

もともとジョナ・ヒルは、スパイク・ジョーンズ(『マルコヴィッチの穴』の映画監督)との仕事中、あまりいいものが書けずに悩んでいた時、スパイク・ジョーンズが、

「相変わらずろくなもん書かねーな。だけどお前のスケボーの実体験の話あったろ、あれだけは面白かったぜプゲラ」と伝えたところ、その気になって本作の脚本を書き始めたという。にんげん、素直さは大事である。

なので当然、実体験部分はそれなりに面白い(ビバリーヒルズでスケートしていたら追い出された話などがそれにあたる)。

とはいえ、この映画はだれが見ても普通に面白い映画、というわけではない。

おそらく一番向くのは、人生が停滞していると感じている中高年の男性たち。コロナ禍による出口の見えない苦しい状況で、それでも働き続け、満身創痍の労働者たち。「俺の人生はもう下り坂だな」と、あきらめつつある男たちだ。90年代を懐かしい、と感じられる世代ならなおよい。そんな人たちに『mid90s ミッドナインティーズ』は向いている。

ここに出てくる少年たちは、みな家庭環境に問題を抱え、どうしようもない境遇のなか生きている。だがその一人、レイはいう。「ほかのやつらを見ると、まだましだと思えるんだ」と。このセリフには、だれもが思わず共感するだろう。

そんな地域に住む少年たちは、90年代という、本人たちは知らなかっただろうが実は世界的な不況で、まったく恵まれていなかった──そんな不幸な境遇下でも、それでも日常に楽しみを見つけ、人生の滋味を味わいながら前に進んでいくのである。

そして、そのエネルギーを感じられることこそが、本作の美点なのである。

なぜならそれは、先ほど書いた対象男性たちが忘れていた、しかし絶対に持っていたものだからだ。

この映画の登場人物たちには、決してノー天気な救いの未来があるわけではないし、作中で提示されるわけでもない。

だが、私にはどうしてもまだ、彼らにはチャンスが残っているように思えるのである。

彼らには、あのようなどん底でも仲間たちとのまっとうな交流があったし、スケートのような素朴な楽しみもあった。悲惨な出来事を乗り越えようと前に進む気持ち、たくましさがあった。そして何より、あんなにも輝いている瞬間があったのだ。

映画のラストには、彼らの輝ける瞬間を怒涛のように見せる感動のシークエンスが待ち受ける。

そこで私たちは思わされるのである。この溢れんばかりの生命力の残滓は、きっと俺の中にもまだ、いくらかは残っているに違いないぞ、と。

観客に勇気と希望と感動を与える。ジョナ・ヒルのデビュー作は、映画の持つ力を存分に感じられる青春映画である。高く評価する。



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