『人数の町』60点(100点満点中)
監督:荒木伸二 出演:中村倫也 石橋静河 立花恵理
≪題名に隠された現代的なテーマ≫
リスクを取れなくなった日本の映画業界は、いつしか大作を作れなくなった。そのノーリスク志向は中規模予算の作品にも及び、原作もの映画の大量生産(あえて粗製乱造とは言うまい)という結果をもたらした。
だからこそ、この『人数の町』のような、完全オリジナル脚本作品を見つけると期待が高まる。
この映画は、毎度おなじみ気鋭の映画会社キノフィルムズ=木下グループが、「面白いオリジナル企画には予算5000万円をつけてやるぞ」と募集をかけた「新人監督賞」で、200以上の応募作からトップ2にまで選ばれたアイデアの実写化である。
借金取りに追われる蒼山(中村倫也)は、怪しげな男に救われ、ある"町"へと連れていかれる。そこは一般社会で生きるすべをなくした、彼のようなワケありの若者ばかりが集められ、働きもせずダラダラと暮らす極秘のコミュニティ。いきなり小型チップのようなものを首に埋め込まれ面食らう蒼山だが、町の奇妙なルールを学ぶうち、そのぬるま湯生活にどっぷりとつかってゆく。
これが『カイジ』だったら、エスポワール号に乗せられ命がけのゲームをやらされることで「いのちのゆういぎなつかいかた」を学べるわけだが、本作の場合は真逆。
集められたダメ人間たちは、飲み食い無料、仕事はしないで遊び放題。義務といえばただフェンスの内側で指定のパーカーを着用して過ごすだけ、ときたもんだ。
各住民は個室をあてがわれるが、そこにあるバイブルには「平等は可能だ」「自由は夢ではない」といった、どこの共産主義国家だよと思うような美辞麗句が書いてある。
挙句の果てには「争いを避けるにはストレスをためないのが一番!」とのポリシーのもと、やたらと豪華でおしゃれな屋内プールが設置され、自由に使っていいことになっている。
そこは黒ビキニの住民女子(ViViモデル出身の立花恵理演じるエロいヒロインのような超ナイスバディ女子から、街のどこにでもいそうなちょっとだけざんねんな体形のリアリズム女子までよりどりみどり)が、大勢水遊びをして、まさに眺め放題なのである。
さらにさらにさらに!
と、思わずジャパネット口調になりそうなほどのごほうび設定として、この"町"ではなんとフリーセックスが推奨されている。
自分の部屋番号を渡して相手が受け取ればそれで「YES!」の意思表示という、どんなにキョドったダメ男子でも、誰かしら若い子の肉体にありつけるナイスなシステムになっている。
しかし……である。
いったいこの町はなぜこんな夢のような仕組みになっているのか。
そのわりに、住民たちの顔に生気がないのはなぜなのか。
いったいこの町の運営経費は、どう賄われているのか。
突然いなくなった壁の外(=日本)との関係はどうなっているのか?
酒池肉林な疑似体験をうほほ気分で味わっていた観客も、あるいは蒼山も、いつしか当然ながらそうした疑問にぶち当たる。
いうまでもなく……おそらくそれらは追及してはいけないギモン、なのであろう。
だが主人公は、入ってはいけないこれら闇の中につき進む。そこで知る驚愕の真実とはいかに?!
意欲的なオリジナル世界観で、退屈知らずで見ていられる。
アイデア頼りの部分があるのは否めないが、こうした企画を通したこと自体、ほめていいことだと私は思っている。
ジャンルも、内容も、お金を集めやすい企画とは到底思えない。だが誰かがやらないと、日本映画の多様性は失われてしまう。
都市伝説ホラーなのかリアル犯罪ものなのか、断定させずに引っ張ればもっと薄気味悪さや観客の不安を掻き立てることができたと思うが、そうした見せ方のコツは荒木伸二監督も、経験を積んでいけば自然とうまくなるだろう。
なにより立花恵理のごとき、小生意気なナイスバディエロギャルの、ほとんど裸な水着姿を見せただけでも、そうしたマイナスの一部をカバーしたと評価できる。
むろん、ベーシックインカムや貧困ビジネスといった、現実の社会問題への問題提起を、映画の設定から感じ取り、深く考えるような楽しみ方もできる。
むしろそれが、立花恵理の水着よりも王道の味わい方であろう。言われなくてもわかってるよ、との声は受け付けない。
いずれにせよ、オリジナル企画をやる映画人、がんばれよ、というわけである。