『空の青さを知る人よ』60点(100点満点中)
監督:長井龍雪 声の出演:吉沢亮 吉岡里帆

≪中高生にはちょうどいい≫

日本は政治も経済も典型的な中央集権の国なので、人の流れも一方向。東京で活躍する人の多くも、当然地方出身者である。そんなわけで田舎賛美のお話は企画も通りやすいし、実際目立つように思われるが、そこに体験談的な要素以上のものがなければドラマに厚みは出てこない。

埼玉県の秩父を舞台にした「あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。」「心が叫びたがってるんだ。」に続く長井龍雪監督最新作『空の青さを知る人よ』も、その壁を突き抜けることができない、あと一歩な印象である。

17歳の女子高生、相生あおい(声:若山詩音)は、親を亡くしてからは、なんでもできる姉のあかね(声:吉岡里帆)の庇護のもとに暮らしてきた。あおいは、その罪悪感や負い目を振り払うがごとくギターの練習に打ち込むが、そんな彼女のもとに"しんの"こと 金室慎之介(声:吉沢亮)が現れる。しんのは、あおいがギタリストを志したきっかけとなったあこがれの人。だが不思議なことに、彼はあきらかに13年前の、高校生の"しんの"だった。一方、現実世界の慎之介も、久しぶりに街に戻ってくるという。いったいなぜ、こんな不可思議なことが起きたのだろうか。

練習場となっているお堂の建物から一歩も出られない過去の慎之介。そこに通い詰めながらも、あおいは現実の問題とやがて向き合ってゆく。ファンタジックな要素をはらみながらの、王道の成長物語といえる。

物語の背景には、都会と故郷の二つの暮らしが対立的要素として配置され、それに対応する過去と現在という形で、自分を見つめなおすストーリーがわかりやすく伝えられる。

『空の青さを知る人よ』は、長井龍雪監督のこれまでの2作と違い、主人公こそ女子高生のあおいだが、姉のあかねをはじめとする大人たちの物語を前面に出しているのが特徴。

それぞれ悩みがある大人に対して、若いしんのの愚直なアドバイスや価値観が一石を投じる構図である。大人たちはたしかに器用だが、大事なことを見失っているぜ、というロックな主張である。よくある構図ではあるが、過去の自分が具現化する不可思議要素がユニークだし、アニメというジャンルにもよく合っているので飽きずに見られる。

背景美術は綺麗だし、秩父の町や自然を5割り増しくらいに魅力的に見せている点も、聖地巡礼ブームを意識した昨今のアニメらしい手堅さを感じる。なにより、原作ものに頼らず、こうしたオリジナルを生み出すクリエイターたちの意欲は買える。それでいて興行的にも結果を出しているのだから立派というほかない。

その点は十分評価したうえで、さらなる向上のためあえてそろそろ苦言を申し上げると、本作はあらゆる点で過剰という点がまずいえるだろう。

演出も、演技も、脚本も、事件も、まあとにかくこれでもかと詰め込んでくる。とにかく説明過多、演出過多でうるさいのである。音楽は鳴りっぱなし、背景は綺麗だが光はわざとらしくこれみよがし。東宝の大ヒットアニメはいつもこうなので、そうさせる指示でもあるのかもしれないが、こういうのはアクション映画のやりかたで、日常のドラマでやられると見ていて疲れるわけだ。

このくらいにしないと、中学生くらいの子供に人間ドラマを飽きずに見させるのは難しいとの判断もあるのかもしれない。しかし、そうしたすべてが。まるで10年位前のセンスの悪い邦画をみているようで、長井作品に大きな期待をしている側としては萎えるわけだ。

──と、ここまで書いて思ったが、10年前もくそもない、今も邦画のセンスの悪さは何も変わっていなかった。

それはいいとして、アニメまでがそういうものをお手本に、センスの悪いドラマを量産するのはゆゆしき問題であろう。

クールジャパンなどとアニメを持ち上げる空気の中、あえて誰もがうすうす感じているがいいにくいことをあえて言うが、私は昨今のアニメーション製のドラマ映画を見て、はっとさせられるものに出会ったためしがない。

端的に言って、どれもこれもガキ向けで見るに堪えない。絵はどんどん綺麗になっているから退屈はしないで済むが、アニメーションの特性をドラマ描写に生かそうという意欲や、革新的なアイデアとか、実写以上の心理描写に切り込むとか、そういう、我々オッサンを満足させてくれるものがまるでない。

もっとも若いクリエイター全般が、つまらない時代に生まれ生きてきたわけで、その社会そのものを作り出したオッサン世代に、これは根本的原因がある。私はそういう国づくりに一貫して異を唱えてきたが、変えられなかった点については申し訳ないと思う。

今敏あたりが生きていたらと思うが、とにかく今、作品を送り出すチャンスを持っている若いクリエイターたちには、もっと広い視点を持ち、既存の枠から抜け出せるよう頑張って頂きたいと強く願う。

この映画の場合は、前述したようにあらゆる点で過剰なために、終盤のアクションシークエンスとの落差がほとんどなく、結果として驚きもカタルシスもほとんど生み出せていない。

また、田舎の良さを伝えるコンセプトについても、東京の現実をもっとリアリズムをもって描ければなおよかった。説明過多なのに、そういう肝心なところは描き足りない。この内容では、都内在住のワープア以外には、監督の思いは伝わりにくいだろう。

「コネと運がなきゃ実力あってもダメなんだよ」とのセリフも、現代の若者が発するにはあまりにもカビくさいように思われる。

ホリエモンじゃないが、いまどきはネットで誰もが(たいして実力なんぞなくても)世に出ることができるし、そこそこ稼ぐことはできる。まして、実力があればなおさら誰かが放っておかない。どこかしらで拾われる時代だ。

一方で、世の中のバッファがあらゆる点で失われ、とくに都市在住者は労働だけで消耗しきっているのも事実。ホリエモンのいうような稼ぎ方に挑戦する気力と時間さえ奪われている人たちが大勢いる。彼らは見捨てられ、世間に存在すら認知されなくなりつつある。

その恐るべき時代性を描いていれば、本作のドラマにももう少し厚みが出ただろう。

まとめると、物語の要素をもう少し整理し、核となるテーマを深堀りすること。演出はメリハリを意識し、非現実的なキャラクターは最小限に抑える。

『空の青さを知る人よ』は、続編ではないが3本目なのでここまで厳しく言うわけだが、こうした点を改善すればさらに客層を広げ、本作のクリエイターたちの寿命もきっと延びるに違いない。

光るところもある作品なので、もう少し周りのプロデューサーが大人になって、映画の作法やセンスというものを付与してやったらいいのだが……。



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