『エンテベ空港の7日間』65点(100点満点中)
監督:ジョゼ・パジーリャ 出演:ロザムンド・パイク ダニエル・ブリュール

≪くしくも現代日本そのものというべき、歴史の転換点≫

私を含め、50歳以下くらいの人は知らないと思うが、1976年に起きたエンテベ空港奇襲作戦といわれるハイジャック犯殲滅作戦は世界中に大きな衝撃と恐怖を与えた。なにしろ事件1年以内にハリウッドスターの大競演映画が作られるなど、3回も映画化されたほどなのだ。

それどころか、イスラエル軍によるあざやかな対テロ作戦は、その後の各国の対テロ政策やハイジャック対策のお手本にもなった。世界史的にも大きな影響を与えた事件であった。

とはいえ、40年以上も前の事件をなんで今更また映画にするのか。そんな疑問を持つのも当然だ。

だが、見てみて分かった。なるほど、『エンテベ空港の7日間』はこの2019年に映画化する意義がある視点を持っている。

1976年、パリ行きのエールフランス139便がテロリスト4人に占拠される。犯人グループの要求はパレスチナ過激派などの解放と500万ドルの身代金。やがて飛行機はウガンダのエンテベ空港に降り立ち、イスラエル政府との交渉が始まった。

この映画がなぜ今作られたのか、それを知るためには、若者には全くなじみがないが、70年代あたりの世界情勢を知らないと話にならない。なのに、この映画ではまずいことに、そのあたりの親切な解説がほとんどないので、私がここでやることにする。

まず、当時のウガンダは食人大統領と言われた独裁者アミン(ノンソー・アノジー)が仕切っており、彼がイスラエル政府に全面協力する可能性はなかった。だから犯人はこの国、この空港に着陸をした。

また、4人のテロリストのうち2人は西ドイツ人という点も、ほとんどの人には???だろう。なぜドイツ人がパレスチナゲリラの解放に協力するのか?

簡単に説明すると、当時は世界中で極左的活動が活発化していて、しかもインターネットがあったわけでもないのに、どの組織にも「決戦の地はイスラエル、パレスチナである」との共通認識があったのである。世界同時革命の幻想である。

アメリカにおけるベトナム戦争の反対運動も、日本人が赤軍を名乗ってテルアビブ空港乱射事件を起こしたのもこのころだ。

この映画の中では、ハイジャックに参加するドイツ人革命家のブリギッテ・クールマンをロザムンド・パイクが演じている。彼女は心酔していた自分の組織のリーダーが殺された怒りから、この作戦に参加をした事になっている。

ここまでが、この多国籍テロリストが中東でハイジャック事件を起こした背景の解説だ。

さて、この映画がこれまでの映画化と違うのは、テロを排除するイスラエル軍を主役にしたヒーロー映画では全くない点。先ほど書いた犯人側はもちろん、ウガンダのアミン大統領など、周辺のプレイヤーたちの思惑や意図も、十分ではないにせよ描こうとしている。多面的に事件の意味を解釈しようとの試みだ。

さて、事件解決に奔走するのはもちろんイスラエル政府だが、ここからが「なぜ本事件を2019年にわざわざ再映画化したのか」にかかわってくる。

当時のイスラエルの首相はイツハク・ラビン。映画では描かれないが、のちにパレスチナとの平和協定を目指す和平派のリーダーとなり、最後は暗殺され、中東和平への道は水泡と帰した。まさにあれこそが、歴史の転換点であった。

彼とともに危機に対峙するのがシモン・ペレス国防相で、彼もこののちに平和路線へと進むことになる政治家の一人である。

こうした人物たちが国のかじ取りをしていた時代に起きた事件だとまずは理解しよう。

映画の中では、「戦うことばかり考えていてはだめだ。敵は隣人でもある、いつかは和平が必要になるんだぞ」との名言が出てきたりするが、作り手たちが、現代の中東状況をどう考え、このときの事件とその後の歴史(ラビン暗殺と和平崩壊)をどうとらえているかがよくわかるセリフだ。非常にまっとうな歴史観であると私も思う。

と同時に、売国政策と経済状況の悪化と支持率低下の目くらましのため、隣国と火遊びを続ける首相と子分たちを抱くわが国の不運を心から嘆く。あの連中にもこのセリフを聞かせてやりたい。その後のイスラエルとパレスチナの悲惨な歴史もだ。

さて、次に注目すべきは、唯一死亡したイスラエル側の突入隊員ヨナタン・ネタニヤフ。彼こそが、現イスラエル首相ベンヤミン・ネタニヤフの実兄である。つまり、この点を皮切りにして、この事件と現実が、時を超えてリンクしてくるわけである。

この映画では詳しく描かれないが、これを見る中東の多くの人の認識としては、この戦死したヨナタンの弟でのちに首相となるベンヤミン・ネタニヤフは、右派の新自由主義者であり、パレスチナとの和平を現実的に進める様子が見られなかった、との評価である。

かつてエンテベ空港奇襲作戦とは、ヒーローのイスラエル軍が見事に解決、そんな印象が強かった。

だが、40年もたってみて振り返ったら、はたして本当に成功と言えるのかよ? と、要はそういうことをこの映画は言いたいわけである。

ましてこの時の犠牲者の兄が首相になり、和平を拒否した方向に国を引っ張っているという驚くべき状況がある。それをふまえて事件を再評価する。これは事件直後の映画化では描くことのできない視点である。

いったい私たちはどこでどう間違えたのか、この事件がすべての発端ではないのか、といったところだろう。

興味深いのは、事件解決にかかわったイスラエルの政治家たちが、その後はこぞって平和路線を歩んだということだ。イスラエル側からすれば人質もみごと救出。映画にもなるほどの大成功を収めたにもかかわらず、敵の殲滅をねらうなど強硬的な立場にはならなかった。

そこで先ほどのセリフ「戦うことばかり考えていてはだめだ。敵は隣人でもある」が思い出されるのである。

ラビン首相は元軍人で中東戦争の英雄とされる。だからこそ、そんな彼がいうならば、という事で、これまで多くの犠牲を払ってきた国民もすべてを水に流して和平路線に乗ろうという事になった。

そのラビンが暗殺されたあと、めぐりめぐって首相になったのがベンヤミン・ネタニヤフだった。そして彼とて、この映画の時代は特殊部隊隊員として別のハイジャック事件の突入班になったこともある元軍人である。

だが、『エンテベ空港の7日間』事件において、兄をテロリストに殺されたベンヤミンは、ラビンのように和平政策を命がけで進めることはなかった。

軍人というものはいざとなれば自分たちが闘うから、戦争は避けるものだ。などと、したり顔で語る人がいるが、現実はその通りになってなどいないということだ。

何はともあれ、戦争も対立も終わっていない以上、この事件を美談として語ることは許されない。そんな作り手たちの思いが伝わってくる作品である。

やや口下手であるものの、これを機に中東問題に興味を持つ人が増えたとしたら、それはそれで意義がある。派手なドンパチがうりでもなければ、スリルとサスペンスが売りでもない。あくまで史実を再現した地味なドラマではあるが、この記事を読んで興味を持った人ならば、きっと見て損はないと思う。



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