『ロケットマン』55点(100点満点中)
監督:デクスター・フレッチャー 出演:タロン・エガートン ジェイミー・ベル

≪『ボヘミアン・ラプソディ』監督の株が上がった≫

その楽曲が、ちょうど公開中の超実写版『ライオン・キング』に使われていたり、同時代のアーティスト、フレディ・マーキュリーを描いた『ボヘミアン・ラプソディ』が大ヒットしたこともあって、エルトン・ジョンの伝記ミュージカル『ロケットマン』もまた話題を呼びそうである。

不仲な両親の元、愛情に恵まれずに育ったエルトン・ジョン(タロン・エジャトン)は、それでも図抜けた音楽の才能を開花させ、王立音楽院を卒業したのち、作詞家バーニー・トーピン(ジェイミー・ベル)と組んでヒットメーカーとして大成功する。だが一方で、同性愛者でセックス中毒の私生活、そして家族との関係はいまだ荒んだままだった。

日本でも興収130億円を超えた『ボヘミアン・ラプソディ』の最終監督をつとめたデクスター・フレッチャーによる、同時代の英国アーティストの伝記映画ということで、夢を再びというのが映画業界のムードである。

じっさい音楽性は同じように高く、本物のエルトン一家と暮らして役作りした主演タロン・エガートンによる歌唱も上々。ミュージカルシーンも見ごたえがある。

少年時代の回想に始まる前半のドラマも興味深く、とくにトルコ行進曲の即興での演奏場面などエルトンの天才性を表すエピソードが面白い。

一方で心すれ違う居心地の悪い家族関係など、のちに破天荒な人生を送る下地のようなものもこの前半部で描かれ、それなりに説得力を感じさせる。

だが、成功した後の後半の展開は正直なところ退屈で、描くものがなくなってしまったかのような冗長な印象。描写も徐々に乱暴になる。

たとえば子供時代の唯一の理解者だったおばあちゃんも、いつの間にか退場させられそれっきりな扱い。盟友となるバーニー・トーピンや最初に担当してくれた社長、レイなど多くの理解者に囲まれながらも、彼らの存在感は意図的に薄められていく。

なぜそんなことをするかといえば、要するに「成功とともに孤独が訪れ、堕ちていく」とのアーティストあるある展開に無理やり持っていこうとする拙速な演出意図の表れであり、かなり興ざめさせられる。

ジョンというわかりやすい悪役がやってきて、いいようにやられる流れもステレオタイプにすぎる。

さらに、ろくでもない家族に対しても気前よく別荘を買ってやったりと、エルトンが一方的に、過剰なまでに善人として描かれているものだから、母親はじめ彼の足を引っ張る人物たちの行動原理に説得力がまるでない。

いうなれば、典型的なLGBT無敵映画というやつで、ここまでくると何か映画には描いていない致命的な欠陥がエルトンのほうに実はあったんじゃないのかとさえ思わされる。

むろん、本作はエルトン本人が製作にかかわっているので彼のマイナス情報を徹底して隠すコンセプトなのは当然なのだが、それをこうも丸出しにしているのはうまくないし、しらけるものだ。

繰り返すが、本作は徹頭徹尾、不幸な少年時代を過ごし、ヤクをやって、ゲイで、セックス狂いで……と、なにもかもを記号的に描きすぎである。細かいところは記号で察してよ的な、いい加減なドラマ演出しかできていない。だから説得力も薄いし、共感も生まれにくい。

引退公演の話とか同性婚にかかわることとか、その後に起きているもろもろについて、ラストのテロップで一気にすますのも乱暴に過ぎる。

役者のパフォーマンスと出来のいい音楽シーンでなんとかもってはいるので最低限の満足感はあるが、音楽度とドラマが完璧に融合した『ボヘミアン・ラプソディ』の完成度は望むべくもない。

その意味では、デクスター・フレッチャー監督に交代するまであの作品を監督していたブライアン・シンガーは、あちらではクビになったとはいえ、本作のおかげで株を上げることになったといえる。

大スターの謹製伝記というのもなかなか難しい。というより、『ボヘミアン・ラプソディ』が奇跡的によくできていた、というべきか。

サンシャイン/歌声が響く街(字幕版)
同じ監督の作品。
ボヘミアン・ラプソディ (字幕版)
何かと比較される一本。


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