「東京喰種 トーキョーグール【S】」40点(100点満点中)
監督:川崎拓也 出演:窪田正孝 松田翔太

≪原作の重要ポイントが分かっていない≫

石田スイの人気コミックの実写版第二弾。前作は、清水富美加がヒロインを務めていた(しかも素晴らしいパフォーマンスだった)が、事実上、彼女が幸福の科学の専属女優となってしまったため、もう続編製作は不可能だろうと思われていた。

しかし、こうして代役(=山本舞香)を立ててまで作るというのだから、原作コミックの人気は相当なものである。

そしてこの実写版パート2は、その原作漫画でいうと4巻と5巻のあたり。分量的にはそう大したものではない、無理なく映画化できる範囲を選んだといえるだろう。

外見は人と変わらないが、人間のみを食糧とする喰種(グール)。ある偶然により、自分を襲った喰種の臓器を移植されて生き延びることになった大学生のカネキ(窪田正孝)は、喰種の能力と、人間の食物が食べられない種族の特性に苦しみ生き続けていた。そんな彼は喰種社会においても浮いた存在であったが、月山(松田翔太)という喰種は、そんなカネキに異様な執着を見せるのだった。

美食家といわれる喰種に、執拗に追われる主人公のサバイバルが本筋となる第二弾。アクションそこそこ、VFXそこそこで、中高生くらいには十分なクオリティといってよかろう。

トーカを演じる山本舞香は、憑依的パフォーマンスを見せた清水富美加にはわずかに届かないものの、負けず劣らずの良いキャラづくりをしていて高く評価できる。「劇場版 ファイナルファンタジーXIV 光のお父さん」など、最近は良作によく出演しており、躍進する予感を感じさせる。彼女がいれば、実写版東京喰種は今後も大丈夫だろう。

ただ問題なのは、この映画の作り手が原作漫画の重要な魅力、作品に込めた意図というものを正確に把握していない疑いが濃厚な点だ。

それは、映画の序盤、トーカが赫子(かぐね)を出す描写を見せるところから始まる。

ちなみに原作で彼女がカグネを出す場面は、大きな見せ場の一つである。なぜそれを、大した効果もなくサラリと消化してしまうのか。

原作のトーカは、人間の友達との交流のために人の食べ物を無理して食べているため弱体化している設定。これは、人間を食料とするグールにしてみればきわめて非合理な行動なのだが、それこそが人間社会との共存をははかる、喫茶店あんていく(彼女ら共存派の拠点)イズムそのものを表している。

一方、美食家グールは、グールとして本能の命じるままに合理的な行動をとるため、人間はドカドカ食う、よって戦闘力も極めて高い。

人間と共存しようとする現実主義(これこそ現実の人間社会における平和構築の暗喩でもあろう)のグールたちが、グールファーストの極右的わがままな美食家に力で圧倒される矛盾こそが、原作の4巻、5巻あたりのストーリーの最大の味わいである。

原作でトーカが初めてカグネを出す場面は、彼女とカネキがある驚きの方法によって、"あんていくイズム"を保ちながら人肉食によってパワー全開となる、カタルシス満点の見せ場なのである。美しいトーカの、しかし片翼なカグネのデザインは、ここで披露してこそ読者の胸を打つ。

よりにもよってその大きな演出効果を序盤に無駄遣いしてしまうとは、映画版は原作のテーマを理解しきれていないのか。

この「現実主義者=共存派が、犠牲を払いながらも勇気ある政治判断をしていく」という原作の物語の最重要テーマが映画版を作った人に軽視されている点が、本作最大のマイナス部分である。この点さえ克服していれば、大人の鑑賞に堪えるエンターテイメントになれるポテンシャルはあるのだが。

原作を読み解いていない残念な部分はまだある。注文の多いグールレストランの場面がそれだ。ここで映画版は、人間の襲撃でグールが蹴散らされるという、原作と全く異なる展開を採用する。これはよろしくない。

人間とグールは、確かに集団戦闘や武器を使えば人間も強いものの、この段階でそれを強調する必然性はあまりない。この世界では、基本的には圧倒的に人間のほうが弱く、だからこそ、上記のテーマが輝く仕組みになっているのだから、この時点ではその構図を壊さない点を優先すべきだ。

つまり、弱い「人間」と共存しようとすれば、圧倒的に強いはずの「グール」は弱体化してしまう。人間と同じ食いものは身体にも悪い。それなのに、ここに出てくる(とくにあんていくの)グールたちは必死に共存の道を探ろうとしている。そこが感動を呼ぶのである。

具体的にはまず先ほどのトーカ。彼女は原作ではクラスメートに人間の友達がおり、彼女の料理を食べようと苦心している。それがパワーダウンの原因になっている。

次に、グールのニシキには人間の貴未という恋人がいる。ニシキが彼女を守る理由は、愛する姉との壮絶な過去の物語があるのだが映画版ではカット。最愛の姉、人間不信、それを覆したキミの愛情。その3点セットが揃ってこそ、ニシキがズタボロになりながらも美食家に立ち向かう姿が原作屈指の感動シーンとなったのだが……。

そして主人公カネキにとっての人間時代の親友ヒデ。カネキにも、必死に彼と思い出のハンバーグを食べようと頑張るシーンがある。カネキは、グール種族としては非合理な選択である「人間との共存」が可能かもしれないと皆に感じさせる、救世主的な立ち位置であるが、映画版ではこのあたりの強調が不十分に感じられる。

人間とグール。この、いくつものペアにそれぞれ重く深いサブストーリーがあり、同じ構図のそれを何度も繰り返して強調しているからこそ、そこに共通する「現実主義者は覚悟をもって非合理な選択をし続けなくてはならない」感動的な真実=テーマが浮かび上がる仕組みである。

実写版はこうした重要な細部を描くことを放棄しており、その結果、テーマをこちらに伝えることができなくなり、それらが下支えしていた原作の感動を再現できていない。これが、私が本作をダメダメと判断する理由である。

おそらく、ストーリーをダイジェストする作業ばかりにリソースを取られ、肝心の「原作の魅力」を入れ込むことまで手が回らなかったのだろう。原作の実写化は、ここが一番難しく、経験とセンスを問われる部分である。

鱗粉のようなものが舞うトーカのカグネの描写や、人間側との戦闘場面など、映像的にはよくできているし、なにより主要な役者たち(ゲスト的な冒頭の人は除くが…)の演技がとても良い。それを引き出した点は評価できる。

そのおかげもあって、スタッフキャストともこのメンバーによる続編を見たいと思わせるが、できれば人間を描くことをもう少ししっかりやってほしいと思う。

ほかの批評家は、ここまで丁寧に改善点をあれこれ書かないだろう。だが、日本一忖度とは無縁のガチ批評家である私は違う。厳しくダメ出しはするが、責任をもって改善点は示す。今回もこうして処方箋は示したのだから、続編はぜひ80点越えの傑作に甦らせてほしい。そんな期待と応援の気持ちをもって、本稿を締めたいと思う。



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