「ファウンダー ハンバーガー帝国のヒミツ」85点(100点満点中)
監督:ジョン・リー・ハンコック 出演:マイケル・キートン ニック・オファーマン

兄弟の直営店のハンバーガーを食べてみたくなる

ファウンダーとは創業者、といった意味。つまりこの映画はマクドナルドの創業秘話を描いた企業ドラマである。日本の宣伝会社はその意味では「マクドナルドのヒミツ」みたいな副題をつけてもよかったし、その方が内容にも即しているわけだが、残念ながらそれはある理由から不可能である。

52歳になってもなかなか目が出ない野心家のレイ・クロック(マイケル・キートン)は、あるとき全く売れない自社のシェイクミキサーを大量発注してきたドライブインレストランに興味を持つ。さっそくマクドナルド兄弟が経営するそのレストランに出向いてみたレイは、彼らが発明した画期的な調理システムに衝撃を受ける。これは絶対ウケると見たレイは、しぶる兄弟を強引に説得してフランチャイズチェーンのシステムづくりに着手する。

なぜこの映画に「マクドナルド」のタイトルをつけられないかといえば、それはこの映画が、彼らの起業&成功物語であると同時に、彼らにとって都合の悪い暗部を描いているからである。だから本作を、マック(マクド? マクナル? 適当に読み替えてください)の成功美談だと思ってみた人は仰天すること確実である。

マクドナルドは贅沢だった外食の喜びを労働者に広めた功労者といわれていて、それは事実であろう。この映画で再現される50年代のアメリカは、まさに古き良き時代そのものであり、その最大の象徴として人々の笑顔が集まる場であるマクドナルドが存在する。厚みあるパティはおいしそうで、紙につつまれたバーガーを並んでほうばる親子の姿は本当に微笑ましい。

レイ・クロックと同じように、この素晴らしいレストランに観客は感銘を受けるはずだ。厨房の動線を改良するシーンは俯瞰構図でダイナミックな見せ場として描かれているし、かつてない紙の包装材、システム化された調理方法など今では定番となったアイデアが生み出され、実現していく様子は見ていて本当に気持ちがいいし面白い。

後半になると、そうしたトリビア的面白さから反転。これほどの店を作り上げたマクドナルド兄弟と、レイ・クロックの深刻な対立のドラマが緊迫感ある演出とともに繰り広げられる。

つまり、レイ・クロックは数百店舗規模でこの店を全米に展開して大儲けをたくらんでいるのだが、商品の品質低下を危惧するマクドナルド兄弟はそんな気は毛頭なく、責任が持てる規模のわずかな支店数でいいと考えている。

レイは偽物シェイクで冷凍庫代をケチろうとしたり、FCに参加するやとわれ店長からも搾取しようとする。

古き良き時代の象徴としての、兄弟が作った最初のマクドナルドでは、行列する客のみならず末端で働くものたちにまで笑顔と満足があった。パティは肉汁にあふれ、完成品のアツアツでジューシーな味わいがスクリーンを通して伝わってきた。

ところがレイ・クロックが作り上げた今のマクドナルドはどうか。バーガーから肉汁がしたたり落ちているか。それはこの映画を見る観客すべてが知っているところであろう。

その意味でこの映画は、まともだったアメリカが、世界企業をめざしグローバリズムに突き進む、そのいびつな拡張主義への確固たる批判精神をはらんでいるわけである。職人対ビジネスマンの戦いといってもいい。レイを「ファウンダー」と名付けるこのタイトルの皮肉を、だれもが十分に感じ取れる内容となっている。

ここにきてこの古い時代を描いた映画は、そのテーマの新しさによって輝くのである。

のどかな前半の風景の素晴らしさが、アメリカがレイのような"成功者"たちによって失ったものの大きさを物語る。アメリカも、いやレイとて最初から悪人ではなかった。だが、間違いなくアメリカは、あるいは人類はどこかで道を間違えた。それがこの映画を見るとよくわかる。

私の好きなアメリカ製の服も、80年代以降ほとんどブランドとともに姿を消した。飲食業界も同じということだ。道徳的規範など、成功の足しにはならない。これがグローバリズムにおける成功者のデファクトスタンダードだというならば、あなたは果たしてなりたいとおもうだろうか。

アメリカ社会、アメリカンドリーム、新自由主義、格差社会、そして未来について。「ファウンダー ハンバーガー帝国のヒミツ」は、そうしたさまざまな事に思いを至らす社会派ドラマの傑作である。高校生くらいであれば完全に理解もできるだろう。絶対に見るべきだし、学校の教材にしてもいいくらいである。



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