「ハクソー・リッジ」85点(100点満点中)
監督:メル・ギブソン 出演:アンドリュー・ガーフィールド テリーサ・パーマー

日本人必見 価値観を揺るがされる戦争映画

「プライベート・ライアン」(98年)並の衝撃だと業界人の間で話題沸騰の戦争映画「ハクソー・リッジ」は、歴史に残る大激戦となった沖縄戦・前田高地の戦いにおける、奇跡の実話の映画化である。

汝、殺すなかれ──聖書の教えを忠実に守り生きてきたデズモンド(アンドリュー・ガーフィールド)は、戦争が起き仲間や弟が次々戦場に向かうのをみていてもたってもいられず自分も志願する。自然の中で遊び育ったデズモンドは運動神経がよく、訓練でも抜群の成績を残したが、小銃訓練の時にトラブルを起こす。彼には「人殺しの道具である銃には触れない」という、絶対に曲げられない信念があったのだ。

映画の冒頭には戦場の場面。次々映る遺体の山。とくに目を引くのは、生気を完全に失った遺体たちの表情だ。それは映画に出てくる「遺体役」ではなくまさに「遺体」。ただならぬ雰囲気で、こいつは相当ハードな映画だ、との予感を感じさせる。

この後時代は遡り、主人公デズモンドの少年時代、弟との兄弟喧嘩のシーンへと移る。

このシークエンスの並べ方に、私はのっけからうならされた。

どちらも人間同士の争い──それも最も深刻なそれと、お気楽なそれを、ここではあえて対比させているのである。

そして重要なのは、観客は明らかに後者にこそ強い恐怖と緊張感を感じるということ。監督はわざとそのように演出している。

映画の最初からメル・ギブソン監督は、戦争がいかに人の死についての感覚を麻痺させるか、その事実をこういうやり方で痛烈に突きつけてくる。

まったくもってぐうの音も出ない。あんなにキツイ戦場描写を見せられながら、私もそこに死の重さをまるで感じていなかったのだ。「戦争なんだからあんなモンだろ」と平然と見ていられた。それが間違いだったことを、兄弟げんかのシーンで痛感させられた。恥じ入るばかりである。

のっけからそんな打ちのめされた気分にさせられ、あっという間に長い上映時間が終わってしまった。

演技面でとくに良かったのはデズモンドの父親役ヒューゴ・ウィーヴィングがからむ場面すべて。

観客は当初この父親を、偏屈で子供にあまり目をかけていない面倒なおっさんかと思う。しかし、やがて息子の志願を知ったシーンや過去の夫婦喧嘩の顛末のシーンで、完全にしてやられる。まだ若い子を持つ親ならば、彼の熱演を心穏やかに見ることなど絶対に出来ないであろう。

振り返ると、監督の演出はことごとく的確かつ挑発的で文句なし。あの戦争における知らなかった史実にも圧倒された。

なにより大きかったのはこれまで自信を持っていた価値観を揺るがされた事だ。これは認めたくはないが、たとえ脚色分を差っ引いても事実を前にしては反論の余地はないし、そんなことをする意味もない。フィクションだろうが実話だろうが、凝り固まった固い頭をほぐし、新たな視点を提供していただいたものに対しては最大限の敬意を表する。大人の人間なら当たり前のことである。

それにしても私を含め、多少なりとも常識あるものならば、デズモンドのような反戦9条マンのような男を軍隊組織に置く危険性をまず考えるだろう。

何しろ「銃を持たない」のだから、目の前で仲間が殺されかけていても彼には何もできない。彼はマクガイバーではないのだ。

しかし軍隊側としては、そんな無防備マンとて仲間であるから見殺しにはできない。となると、デズモンドを守るために余分なリソースが必要になる。自己完結型の組織である軍隊にとって、いい事などは何もない。

じっさい上官は「もういいよ、お前は除隊して国に帰れ。戦争は俺たちがやるから任せろ」と、信念を変えないデズモンドに言う。

このセリフはたとえ反戦主義者、兵役拒否者でも命がけで守るという誇り高い軍人の姿を描写した感動的なシーンで、誰もが共感するはずだ。

そもそも、米軍はなぜ彼を追い出さないのか。

だいたいこいつは無防備マンのくせになぜ志願などしたのか。

そんなやつを、よりにもよって150mの絶壁を超えたとたんにハチの巣にされる天然の要害「ハクソー・リッジ」戦に投入するとは何事か。

ここには米軍の6回の突撃&艦砲射撃をものともせずすべて撃退・壊滅させた大日本帝國・最強最後の無敵軍団が待ち構えている。

補給路を絶たれた南方戦線での壊滅的な戦いばかりが印象深いが、もともと日本軍兵士は 屈強であり、硫黄島にしても前田高地にしても、しっかり陣地を作って待ち構えて戦えば 米軍よりも強い。圧倒的な兵力差、火力の差がありながら善戦した例はたくさんある。

そんな戦いにデズモンドのような男を同行させたら、どれほど味方に損害が出るか……。

映画「ハクソー・リッジ」は、こうした疑問のすべてに明確な答えを出している。

これを見ると、アメリカという国はこの時代から、恐ろしいほど論理的で合理的な考えのもとにあったのだなと感心する。自由を守るという彼らのポリシーも、あながちタテマエと馬鹿にはできない。

また、映画関係者が「プライベート・ライアン」と比較したがる理由もよくわかった。シャッター速度と銀残しの工夫で激しい戦場の残像を表現した戦闘シーンの激しさが何となく似ているという、そんな浅はかな理由だけではなかった。

「プライベート・ライアン」では、たった一人の二等兵を助けるために大勢が犠牲になるという、一見ありえない不合理が、じつは戦争の場においてはとてつもない合理的思考の末に行われた作戦であったことを描き、人々に衝撃を与えた。

「ハクソー・リッジ」の中でも准将が、一見ありえない判断を下すシーンがある。この准将はスクリーンには出てこないからその真意は想像するしかないが、おそらく米軍内でももっとも経験豊かで、理性的かつ論理的かつ現実的な判断を下せる上官の一人であったのではないだろうか。

戦争は現実主義者でなければ勝つことはできない。机上の空論ばかりのたまっている私たちの目には、デズモンドの物語は「戦場の奇跡」としか映らないかもしれない。だが、よく考えてみればこの准将の判断は机上の空論ではない、大勢の命のやり取りを任されてきた人間だかこそ見える本当の「現実的判断」だったに違いない。

それを証明する形になった前田高地の戦いは、おそらく米軍にとってもそれなりの衝撃で、大きな教訓を残したはずだ。

こういう映画を見ると、自分の価値観を絶対だと思って排他的な議論を繰り広げることがいかに愚かなことか。危険なことかがよくわかる。

今の日本の言論空間は──私も末席からその内側を覗いているものの一人として──まさにその危険水域に入っている印象がある。そんな時代だからこそ「ハクソー・リッジ」は、とくに沖縄戦の当事者の一人である私たち日本人にとって、必見の傑作映画だと断言する。



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