「無限の住人」55点(100点満点中)
監督:三池崇史 出演:木村拓哉 杉咲花

30巻をまとめた力技

木村拓哉主演の時代劇「無限の住人」は、大人の事情というか、しがらみの非常に多い企画だったと思われるが、それが必ずしも良いほうに働かず、興行成績は散々な状況である。

万次(木村拓哉)は最愛の妹を失い、失意の中無謀な戦いに挑む。死を覚悟した行動だったが、謎の老婆によって永遠の命と回復能力を与えられ「死ねない人間」となってしまう。やがて時がたち、彼の前に仇討ちの協力を依頼する少女・浅野凛(杉咲花)が現れる。逸刀流の首領、天津影久(福士蒼汰)に父親を奪われた凛に亡き妹の姿を重ねた万次は、彼女を守り抜くことを心に決める。

沙村広明の原作は全30巻の人気コミックだが、この映画版はとんでもないことにそれを2時間21分にまとめるコンセプトになっている。三池崇史監督は原作モノの経験が豊富であり、映画一本で描けるのはせいぜい3巻だけ、との言葉も残している。だからその無謀さについては、誰よりもよく知っていたと思われるが、それでも挑んだ。

ここで思い出すのは、弐瓶勉の原作のごくごく一部を切り取って膨らませた映画版「BLAME!」との違いである。

どちらも賛否両論、マニアは手厳しいのでたいてい否が多いのは仕方がないが、原作ものといっても色々なアプローチがあるものである。

ともあれ「無限の住人」には仇討ちという本筋があり、三池監督はそこをもっとも大切にしたかったのだろう。

ただややこしいのは、この原作の魅力は決してそれがメインとは限らない点である。

たとえば仇討ちをするまでの間、あちこち脱線する脇筋とサブキャラクターを好むファンは少なくない。私もそうした意見には共感するところだし、とくに百琳をめぐる物語などはじつに味わい深いものがあったりするわけだ。

で、映画版を見ると、その百琳や槇絵、尸良といった重要人物は勢ぞろいしているものの、彼らのドラマはほぼ省略、もしくは駆け足となっている。これははっきり言って、映画的にはあまり良い効果を生んではいない。

まず未読者には、やたらとキャラ数が多くひたすらそれらとキムタクが戦い続けるアクションものに見えてしまう。しかも数が多いため、敵の一人ひとりがザコにしか見えない。

この映画は時代劇のスペシャリストのスタッフ、撮影所の協力を得ているので殺陣も美術も良くできているのだが、チャンバラの相手が素っ頓狂な恰好と武器を使うザコばかりでは、観客としてはどうしても気持ちがアガらないのではないか。単調に感じる人も多いはずだ。

しかも問題なのは、それら相手にキムタクが結構苦戦していることである。300人切りの凄腕じゃねーの? と疑問に感じること間違いない。

これは、原作でいうところの「不老不死だから剣が鈍る」という、非常に重要なこの作品のテーゼというかルールを、映画版でしっかり説明しきれていないから生じた違和感である。キムタクはちゃんと原作通り演じているので、ここは監督の演出不足といえる。

話を戻すが、この「「無限の住人」のキャラクターを使ったバトルロワイヤル」的な映画をもし既読者がみると、それはそれはフラストレーションがたまるだろう。かといって、キャラクターそのものを省略してしまえば殺風景になってしまうし、なかなか難しいところではあるのだが……。

個人的には、「無限の住人」は多くの監督が嫌がるであろう要素満載の、非常に難しい企画だったと思っている。俺なら絶対断るという映画監督も、きっと大勢いるだろう。三池崇史監督でなければ、この予算と納期で仕上げるのは不可能だったのではと思うほどだ。少なくとも、俳優だのプロデューサーだのに無理難題を吹っかけて我儘を通すタイプの監督では絶対に無理だろう。

じっさい、原作に何の思い入れもないキムタクファンがみれば、彼がちゃんとしている分、三池演出のアクションを楽しめるそこそこの満足感は得られるだろうと思う。その意味では三池監督は今回も、与えられた課題と期待には応えたといえる。

ただそれでも、原作の熱烈なファンや、映画作品としての完成度を求める層は切り捨てざるを得なかったし、その結果がこの興行成績の伸び悩みである。映画とは、なんとも難しいものである。



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