「マンチェスター・バイ・ザ・シー」70点(100点満点中)
監督:ケネス・ロナーガン 出演:ケイシー・アフレック ミシェル・ウィリアムズ

傷ついている大人の心にしみる

「マンチェスター・バイ・ザ・シー」はケネス・ロナーガン監督の長編3作目だが、とてもそうは思えないほどドラマの組み立てがうまい。とくに年齢なりに人生経験を組み立ててきた大人が見れば、この映画の良さはすぐにわかる。

ボストン郊外で便利屋をするリー(ケイシー・アフレック)は、兄の死をきっかけに故郷のマンチェスター・バイ・ザ・シーに戻ってくる。彼を驚かせたのは、遺言に兄の息子で16歳のパトリック(ルーカス・ヘッジズ)の後見人になれとあったこと。だがリーはある過去の事情から、この町にとどまるわけにはいかないのだった。

死んだ兄の息子の面倒を見ろと遺言で言われる。なんとも奇妙な依頼である。そこだけ聞けば、はた迷惑な依頼といってもよい。

だが、実際は全く違うことがやがてわかってくる。

主人公リーには、この街を離れざるを得なくなった過去がある。それは逃れられない罪であり、古い住民の多いこの寒々とした町で暮らすということは、永遠にその罪を意識し続けて暮らすと同義である。これは確かにたまらない苦痛であろう。

それでも彼は迷い続ける。なぜか。それは観客にもすぐにわかる。それは兄が弟に託した息子パトリックが、本当に素晴らしい少年だからだ。彼と暮らすことはリーにきっと素晴らしい幸福をもたらすと誰もが思う。あの出来事以来、消化試合をひたすら繰り返すような人生を歩んできたリーにとって、パトリックとの新しい人生は未来そのものだ。

兄の遺言によってはからずも過去、そして未来と向き合うことになったリー。その選択を観客はドキドキして見守り、あまりに魅力的な登場人物たちに思い切り感情移入して感動のクライマックスを迎えることになる。

主演ケイシー・アフレックはじめ役者たちの抑制した演技も心に染み入るものがある。そして、ここぞとばかりに感情を爆発させるときの落差に激しく打ちのめされる。

とくに主人公が元妻とばったり出会うシーン。このときスクリーンの中では明らかに空気が一変する。ここで観客は元妻のとてつもない愛情の純粋さを知ると同時に主人公の心の傷の深さを痛感させられる。ケイシー・アフレックの表情が素晴らしい。大した場面である。

この物語がまったくもって感動的なのは、兄の風変わりな遺言の真の意味が、終盤にずしりと効いてくるところである。この兄は、要するに自分の命より大切なものをこの弟に託したのである。それはなぜか。その理由を2時間17分かけて観客は知る。本物の感動がそこにある。

リーが、パトリックがまだ幼い頃に一緒に船に乗って、彼が笑ったことを嬉しそうに妻に報告する回想シーンがある。パトリックとの会話内容も含めて、このシークエンスが見終わったあと、観客の心に心地よい重さと印象を残して行く。

本当に深い傷は、決して癒えることはない。忘れることはできない。だが、忘れる必要などはないし、それでも希望は湧いてくるのだとこの映画はいっている。なんと力強く、温かいメッセージだろう。

すべての苦しんでいる人に、この温かさを知ってほしい。いち紹介者として、思わずそんな気分にさせられる。



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