「ホームレス ニューヨークと寝た男」90点(100点満点中)
監督:トーマス・ヴィルテンゾーン 出演:マーク・レイ
心揺るがすドキュメンタリー
実は私はこの映画を2016年のクリスマスに見た。クリスマスにホームレスのドキュメンタリー試写にいく映画批評家というのもなかなか切ないものがあるが、そんなスケジュールを組んだ宣伝会社もまたもすごい。
だが、結論としては彼らは正しかった。この映画をこういう日に見られて、私は大変幸運であった。
ここに出てくるマーク・レイという男はラテンな雰囲気のチョイワル男といった風貌で、ユーモアはあるし話術は抜群。主にカメラマンとしてショウビズ業界で活躍している。実に魅力的だ。
ところがまもなく彼が6年間もニューヨークのビルの屋上に忍び込み、寝泊まりをしているホームレスということが明らかになる。
この映画はそんな彼の境遇を知って愕然とした友人のカメラマンが、なんとかしてやりたいとの思いから2年間、密着撮影して映画に仕立てた友情のフィルムである。
もっともフィルムとは言うがデジタル一眼で撮影され、映像は非常にスタイリッシュだ。被写体のマークがカメラマン兼モデル兼俳優のイケメン中年という事もあって、悲壮感は全く感じられない。──そう、最初だけは。
観客でさえ、最初は一風変わったミニマリストの話かなと思うだろう。
だがマークは、競争社会の敗者として屈辱と苦しみの日々を送る、まさにこの社会の最底辺、弱者であることがやがてわかる。彼のタイトなスーツ姿は、都市でホームレスであることを隠して生きるためのいわば鎧である。
毎夜忍び込むビルの屋上にしても、要するに不法侵入なのであり、住民や警察に見つかれば一巻の終わりだ。だがカメラはそんなことにお構いなく、彼の生き様を見届けるように、その生活のすべてを記録し続ける。すなわちこれ、見たいものは全部見られる映画である。
と同時に、ここまで必死に隠し続けてきた自分の生活を、これほどあからさまにすべて見せるマークの姿に観客は不安になる。これは失うものがなくなった人間特有の行動ではないか。こんな映画を公開してしまって、いったい彼は今後どうするつもりなのか。もうあの屋上には住めないではないか。
ホームレスであることを隠したまま、華やかなエンタメ業界ファッション業界を走り回るマーク・レイ。そのギャップにわたしたちは衝撃を受けるとともに、これほど容姿や能力に恵まれた人間が、いともかんたんに転落する現代社会というものに恐怖する。
彼には明らかに才能があり、それなりに努力もして人脈も築いた。チャンスも掴み、仕事も増やしてきた。相当なタフな生き方をしてきただろう。少なくとも、決して自堕落ではなかった。
だが、人生のスタートラインに恵まれなかったマークはそれでも浮かび上がることが出来ず、せっかく得た居場所に定着もできなかった。
彼ほどの容姿もチャンスもない、同じように貧乏な家庭に生まれたものは、これを見て愕然とするだろう。アメリカンドリームの、これが現実だ。
この映画が私達の心をざわつかせるのは、目の前の人物が同じ世界の住民、すなわち普通の人だと感じられるからである。通常、人はホームレスを見れば無意識のうちに違う世界の住民だと思うものだ。だがこの映画のマークとトーマス・ヴィルテンゾーン監督は、無関心になりがちな大衆の興味をここまでぐいっと引っ張り出して、彼らに現実を見せつけることに成功した。
マーク・レイがサンタの扮装をして、小さい女の子に語る言葉がある。映画の最後には、感情をむき出しにしてはきだすセリフがある。成功者が人前でのたまうきれいごととは、明らかに次元の違う実態ある言葉だと感じられる。真剣に人生を考え、生きているものほど平然と聞くことはできないであろう感動的な言葉である。
まったくもってこの映画には胸を打たれたし、苦しい気持ちになった。と同時に、なぜか励まされたようにも感じるのである。決して見逃してはいけない、見逃したくなかった社会の一部というものを描いていた。心から見てよかったと思える、極めて数少ない映画である。
紹介は遅れてしまったが、今からでも遅くはない。心揺るがす映画を求めている人は、ぜひ見てほしいと思う。