「ソーセージ・パーティー」55点(100点満点中)
監督:コンラッド・ヴァーノン 声の出演:セス・ローゲン クリステン・ウィグ

一般向けではないバカ映画

ソーセージを擬人化したキャラクターたちが、太いほうがイイだの長いほうがイイだの下ネタを飛ばす映画「ソーセージ・パーティー」。これを見て、ああソーセージからそういうものを想像するのは外人も一緒なのか、つまりこれって人類共通の言語なんだな、などと考えたりしたところで、あまりの虚しさに帰りたくなった。

食材たちにとって、にぎやかに暮らすわが街「ショップウェル」。このスーパーマーケットでソーセージのフランクは、いつか恋人であるパンのブレンダと合体することを夢見ている。そのために、人間に買われることを切望しているのは他の食材たちも同じ。だが、先に買われながらもほんの偶然から店に戻ってきたある食材は、それが幻想であることを青ざめた表情で皆に語るのだった。

ソーセージとチンコネタで引っ張るには、79分という短い上映時間ですら厳しかったのだろう。結果、本作の「笑い」は激しく中だるみするし、イスラムのホモネタとかサルマ・ハエックのレズキャラとか、場当たり的かつ混沌を極めてゆく。どれもこれも狙いすぎかつ思いつきの域を出ていない。最初はシュールで笑えたものの、すぐに失速してとほほ感を醸し出している。

絵柄も多くの日本人にとっては可愛らしさとは無縁で、笑いと比例して共感も弱いからせっかくのラストの驚きも弱い。逆に言えば、このギャグ映画にマジ受けしている少々幼稚なメンタリティを持つ客層にとっては、ガツンとくる落ちともいえる。

いずれにせよ、しらふで見るものではないし、一人でみるのも空し過ぎる。気楽な仲間たちとホムパでみるとそこそこ面白いかもしれない。なんていうと結局、映画館では見る意味なしということになってしまうのだが……。

自分たちは食われるために作られた食材なのにそれを知らず、人間に買ってもらえれば広告パッケージのような幸せな未来が待っていると信じている──。

そんなアイデアから生まれたであろう本作の世界観だが、だったら登場するのを加工食品だけにしたら潔かったのではないか。きっと虐げられる新自由主義下の被搾取底辺層を暗喩し、社会的意義のあるアニメになったことだろう。

じつは本作にも、それをちょっぴり狙った節がないでもないのだが、なにしろギャグが幼稚すぎて、そういう文脈で語ることがこれほど格好悪い映画もないという状況になっている。

本作の場合、監督というよりセス・ローゲン&エヴァン・ゴールドバーグのプロデューサーコンビの好みが色濃く出ているのだと思うが、こういう映画は排他的オタクの多い日本の映画業界筋は絶賛することが少なくないので、そうでない普通のお客さんは惑わされぬよう要注意。

繰り返すが、これはちんこギャグ程度で喜べるお客さん向けのバカ映画。経理のかわいこちゃんがそんなギャグで思わずクスッと笑うのを横でみて興奮するとか、各自有効にお使いいただきたい。



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