「少女」60点(100点満点中)
監督:三島有紀子 出演:本田翼 山本美月
闇を歩く17歳の視点
17歳をテーマにした映画は数多い。それだけ人間にとって節目の年、あるいは何か言及したくなるようなユニークな年代ということであろう。湊かなえ原作小説の映画化「少女」もそんな17歳の女の子二人を中心としたドラマだが、これをいったい誰に見せるのか、という点があやふやなために傑作になり損ねた印象である。
幼馴染の女子高生、由紀(本田翼)と敦子(山本美月)。かつては明るかった二人は、今は暗い高校生活を送っている。由紀は少女時代に負った醜い傷跡のトラウマを上書きするかのように自作の小説執筆に明け暮れる。敦子は特技だった剣道でミスをして同級生に迷惑をかけ、未だひどいいじめにあっている。ありふれた二人の悩みは、しかし閉塞的な世界で生きる17歳には死の影すら感じさせるものだった。
主演の本田翼が素晴らしい演技を見せる。無表情で大人びた様子は一見女子高生には見えないが(実際の年齢もかなり上だが…)、大事なものがなくなったときや性的な危機に対する狼狽の様子や、自分が大きなミスをしてしまったことへの絶望の叫びなど、その「強さ」が崩れる瞬間、もろさのような感情の発現が秀逸である。誰もが認める整いすぎた顔立ちは、本作では近寄りがたさを感じさせるが、これも17歳の不気味さ、理解不能さを表現するにはふさわしい。
話題のSMAP稲垣吾郎も重要な秘密を抱えた役柄で登場するが、こちらも抑えた演技が安定感を感じさせる。きっと解散後も役者でやっていけるだろう。
一方、三島有紀子監督による演出面はいまいちパッとしない。人間ドラマの経験は豊富な監督なのだが、今回はテーマの焦点がぼやけているのと、演出意図が効果を上げていない印象を受ける。
たとえば冒頭の遺書朗読シーンだが、ミステリ効果を狙ったというが、まるでそんな感じはしない。あれをみてその意図通り「誰が死ぬのだろう」などとドキドキする観客がどれだけいるのかと疑問に思う。演劇のワンシーンのように演出したから、逆に演出意図がボケてしまったのではないか。ミステリーにしたいなら誰の声かわからぬ朗読にするとか、ほかにやりようがあると思う。
また、暗闇というものを完全悪ではなくある種の「救い」にするという、監督が映画版に加えた思想は、この映画にはふさわしくないと思う。
なぜなら視界の狭い"17歳"にとっては世界は暗闇に閉ざされているも同然で、見えるのは足元だけ。だからこそ作中で「ヨルの綱渡り」と表現されているわけだ。
それがやがて光、すなわち視野が広がると実は足元は綱ではなかった……と、これがよくある成長のパターンである。と同時に、闇の中を歩く17歳ならではの深刻な悩みは、光の下で見ればなんてことはない、悩みにすらならないものであると、こういうダイナミズムをこの物語では描けばいいのである。
ところが、監督の言うように闇は完全悪ではない、という思想を入れてしまうと、17歳の夜に光が差し込む瞬間の爽快感、カタルシスが失われてしまう。この映画の陥ったミスはそこにあろう。
たしかに、世の中には17歳時に抱えていた闇を、健全な精神的成長によって晴らすことなく大人になってしまう人だって少なくない。そうした人にとっては人間のいやな部分を覆い隠す側面もある「闇」は絶対悪ではないだろうし、そう信じることが救いにもなる。だがそれは別の「大人の映画」でやればいいのであり、本作で伝える必要はあるまい。
こうしたことは、この映画をいったい誰に見せるつもりで作るのかという、コンセプト面があいまいなために起こる。
むろんそれは自由に決めていいわけだが、やはりこの原作と物語の持つメッセージは、第一に17歳をリアルタイムに生きる少女たちに見せ、伝えてこそではないかと私は思ってしまうのである。